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タイトル 新藤楼玄関
投稿者 COSMOS 投稿日 2016/09/02 08:10:34
新藤楼玄関
説明 板橋区赤塚にある新藤楼の玄関です。
板橋宿は江戸時代中山道第一の宿場として栄えていましたが、文明開化とともに次第にさびれていったそうです。
その再起策の一つとして明治19年に遊郭を営業し、この建物はその時に板橋遊郭中最大の規模を誇った新藤楼の玄関です。
寺社建築の唐破風造りを取り入れた豪華なつくりとなっています。
明治期の建造物として貴重なものです。

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6


コメント

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さん

宿場女郎と言うと、吉原より一段下がったイメージでしたが、ここは随分立派な楼閣だったようですね。
新宿などは今でも歓楽街が広がっていますが、板橋は住宅地に変貌しました。
歴史に思いを馳せて歩いたら、楽しそうですね。

2016/09/02 08:25:23

ヨゴサンさん

戦災を免れだのでしょうか

こうゆうのが、残っているんですね

峯隆一郎 さんの小説に出てきそうですね

2016/09/02 09:00:53

さん

玄関だけでもこんなに豪華とは!
その先の遊郭の内部が、どれ程のものだっただろうと思いを
馳せてしまいました。

2016/09/02 13:49:37

COSMOSさん

沙希さんへ
街がさびれてしまったらどうするのでしょう。
当時は人を集めるために遊郭を作るのが手っ取り早い方法だったのでしょうね。繁華街に人が集まるのは今も昔も変わりませんね。そういう私も明日は渋谷の繁華街で飲み会です。

2016/09/02 17:31:41

COSMOSさん

ヨゴサンさんへ
戦災を免れたのでしよう。
峯隆一郎さんは知りませんがこんな雰囲気なのでしょうか。

2016/09/02 17:33:16

COSMOSさん

サルスベリアさんへ
昔の遊郭は贅をつくしたものだったのですね。
母家は残っていませんがさぞかし立派だったと想像できます。
いつの世も男はこんな所に引かれて行ってしまうのですね。
私もそうですが・・・

2016/09/02 17:35:49


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