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作品名 アカンタレの話(20) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(20)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/15 09:13:08

+++何かの拍子に高倉町という言葉を耳にしたり
目にするたびに、脳裏に必ず女の姿を思い浮かべず
にはいられなかった。それが何とも苦い味で悔しか
った。

20.石垣遺跡
 ずっと潮見台町に住んでいたから、その山鉄拐山
は手軽で身近な山で、時々一人で出掛けた。大学時
代は勿論、社会人になってからも散歩がてらに、無
論もう父親無しに、大概中腹の休憩所までだが、何
回かは頂上まで登った。
 更に頂上から足を延ばして須磨アルプス連峰を西
端まで縦走して、そこに取り付いてあるロープウェ
イで下山した事も何度かある。

 そのようにして小二以来何十ぺんとなく登ったか
ら、鉄拐山は半分目をつぶっても登れる位の山にな
っていた。時期は忘れたが大学の四年の時に、散歩
の序でに、歩き慣れた何時もの山の中腹の休憩所ま
で一人で登った。しかし休憩所まで来て気が変わり、
それより上まで足を延ばす事にした。

 昔は休憩所の先に細い木橋が架かっていたが、何
時の間にかコンクリート製に改修されていた。それ
を渡り、岩山を過ぎて山頂を目指して登っている内
に、八合目辺りで本来の登山道を横へそれてしまっ
た。間違えて古い道に入ったのである。

 木々の繁りは深いが、精々二百五十米程度の山で
山頂は一つの筈だし、海の方向は何時も南と判って
いるから、道を間違えてもその内に頂上へ辿り着く
のは造作も無い。そんな気で道を進むと奥まで入り
過ぎて、気が付くと林に囲まれた畳み二十帖ほどの
明るい平地(ひらち)へ出ていた。

 土台石が散らばり、周りに崩れ掛けた一米高さの
石垣もあった。落ち葉が厚く積もり、誰もこんな所
へは来ないらしく、ハイカーの踏み後が無かった。
石垣はそこだけでなく、更に藪の奥まで伸びていた。
遺跡らしい。
 城という程でもない小さな砦が、昔この山の上に
存在したのか。守備する番士がいて、土台石から見
て、二十帖ほどのこの平地が溜まり場だったのかも
知れない。

 辺りは、昔の源平合戦一の谷の古戦場(=特に鉄
拐山は、鹿が降りられるなら馬も降りられる筈と、
義経が馬と共に、眼下に駐屯する平家軍目掛けて駆
け下った伝説の山として有名)であったから、平安
末期850年昔の見落とされていた遺跡の新しい発
見かと、一人で色めき立った。

 しかし、傍の石垣に腰を掛けて暫く考を巡らせた
ら:平家急襲の為に義経はこの鉄拐山を確かに馬で
超えたかも知れないが、(一刻を争う)「急襲」と
いう伝説と、(時間の掛かる)「石垣造営」には論
理に矛盾があるのに気付いた。
 こんな思考で、石垣は義経ではなく中世の戦国時
代の遺物に違いないと考え直した。

 クイズを解くような興味が湧き、歴史探索の積り
で周りを歩き回ってみると、一部の石垣の陰にぼろ
ぼろに朽ちた太い丸太が横たわっているのを発見し
た。一端に刃物が入っているから、自然な倒木でな
いのは明らか。

 しかし更に眺め回して、同じく朽ち果てた別の木
に錆び錆びなった針金が絡まっているのを見つけた
時、私は混乱した。歴史が中世から明治も飛び越え
て、一気に昭和になったからである。
 思考は飛躍し、近年までここに木造の小屋が存在
したらしい、となった。飛躍の序でに更に勢い良く
ジャンプした:あの子の茶店だ! 
(つづく)

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