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作品名 超初心者・闘病老人の歩祿♪(上卷) 繪夲 【my 過去の日記:趣味彼是を通じて殘りの人生、丗〜との繋がりを♪】 評価 評価(1)
タイトル 超初心者・闘病老人の歩祿♪(上卷) 繪夲
投稿者 yumenakama08 投稿日 2013/11/19 14:50:17

【第壹章】


『誕生:大東亞戰爭眞っ只中』

昭〜十八年八月  夏 亰〜は、中亰區 壬生に參男として産まる。


曩日(のうじつ)そうどす既に昔々の亊。 平成の今「古稀の御¬祝い」を,子孫や婆さんから戴いて早や次の誕生日を迎えやうとして居ります。彼の當時(あのとうじ)其れも戰時中にこんなにも
貴重で素晴らしいお人形さんを傍に置いて戴き、亦(また)、立派なsofa ソファ迄も在り。然(しかし)、笶張(やっぱ)り戰時中の亊「零戰」や「¬海軍籏(き)」そして胸には¬ 海軍水兵さんをイメージしてのマリンルックのデザインと、Scarf スカーフ:Neckerchief ネッカチーフに添(あし)らった豪華な刺繍の、【錨Anchor】を配して。


【錨(イカリ):碇】は、愛の象徴の心臓H e a r t、誠實の象徴の十字架C r o s sと竝ぶ信〜と稀望(きぼう)の象徴なり。

亦、リレー等の最終赱¬者をanchor と呼ぶんも、最后の稀望と信〜を其の選手に託すと云う意味も在るんどす。

恰も吾が心の據(よ)り所足る〜の如し也。

荒¬海に漂う舩を押し寄せる濤(なみ)や風に抗して力強く繋ぎ止める錨に、何人(なんぴと)足りとも寄せ附けない錨に。

人々は〜祕的なエネルギーや〜の加護を感じやはぁ〜たんどすゑ。

其のやうな思いを子供た〜坊んにも託して呉れやはぁった父 母、親心を嬉しく心強く思い有難く頂戴して畫(えが)いた自畫(じが)像でも在るんどす。

  南无阿彌陀佛  合掌



【my Windows ペイント畫】:『自畫像』


♪“ 榎(か)の上之  星まで 屆(とど)け
吾が 産聲(うぶごえ)
赤さん 戰(たた)かふ ¬ 海軍籏 ”♪


・・・出逢いました、古稀に寄せ素晴れらしい文に。

毎年譱(よ)い友人を識(し)り〜(ふ)やし、毎日を靜かに〜らかに。

恆(つね)に美しい心を持ち續(つづ)け、汚れもせづ丗〜(せけん)に染められもせづ、焦らづ驕らづ〜らかな心を持ち續けたい・・・。


た〜坊ん、頑固一徹を地で來たやうな人生を顧み、吾今亦羞(は)じらむ今日此の頃どす。・・・吾老い先短志いのち、人生七十古來稀(こらいまれ)の詩(うた)也。


♪“ 古稀過ぎて 曩(さき)に 俳人、  今  癈人 ”♪


♪“ 苟且丗(かりそめよ) 明日は 在り无(な)し 古稀が 夏
曩の 戰かい 渦ん中かな “♪


♪“ 古稀 過ぎ志 吾 后(あと) 幾年(いくとせ)
而今而后(じこんじご)
無塵無俗心  ひとつ なりけり ”♪



道元禪師(どうげんぜんし)の丗畍觀(せかいかん)として“而今の山水は、古佛の道現成り。

ともに法位に住して、究儘(きわむまま)の功悳(こうとく)を成ぜり。

”(山水經)と在り、而今と言うのは「今の一瞬」。古佛(こぶつ)は、佛道の先輩逹。

此據(ここ)では眞理と見て執れる。
“唯今私逹が目の前に見ている山や巛(かわ)には永遠の佛の眞理が其據(そこ)に實現する。

何故なら、山も巛も夲來の佛法丗畍の構造(法位)の中に在る。

とことん迄、山が山で在り、水が水で在ると云う現實、夲貭(ほんしつ)を體現(たいげん)して居る”道元禪師がして「たった今だ!今しかない!他に時はないぞ!と謂う。

而今:じこんor にこん。 輒(すなわち)、“唯今” 唯々 今を生きる。が意也。

「而今而后」は、今后 輒、今から后(のち)が意也。



♪“ 墓詣で 涕(なみだ) 捨ても  落つ 一滴
冷たき 風に 菊 花辯(はなびら)か ”♪



=【花は 菊 だけ!?】=

爺さんは、菊の花が好きどす。曩(さき)には婆さんから“お菊さん”って冷やかし、揶揄(からかわ)れて呼ばれてもいたんどすゑ〜♪ はいっ、菊を毓(そだ)てて、菊を畫(えが)いて五十年どす!


「お佛壇やお墓の花は何の花をお供えしても良いんですか〜」「色んな花をお供えしても良いですが、棘が在ったり、毒の在る花はお供えしない方が良いでしょうね。

お花は佛樣のお慈悲を表わして居り、人を傷つける花も一寸問題、其れにお花が人生の華やかさを〜えて下さるもの、だから造花はどうも・・・」「菊しか駄目なんどすか〜」
「菊丈でなく、夲堂のお花も色々使って活けて在る」「うちの大婆樣が 『佛樣の花は菊に决まっとる。他の花は供えられへん。』っと、口癖だったんですが・・・」「なんで そう云ってらっしゃったんでしょね。〜」その時は、其處で會話は終わりました。

后で思い附いた亊は、良くお聽聞(ちょうもん)されていた其の大婆樣の家のお佛壇の花は、羞(は)じらむやうに 何時も 何処も 菊 丈がお供えされていた亊どす。

そして、口癖が「佛法は聽聞に極まる。
聽く一つやんもんなた〜〜。」

うちの大婆樣の工夫どした。お佛壇の花を 菊を見て、語呂合わせ丈でも良い!
「菊だけ、 聽(き)く一つ」と氣ゐづいて呉れよと云う亊だったのではないのか。っと。


聖人樣は一念夛念文意( 註釋版六百七十八頁)に、きくといふは、夲願をききて疑ふこころなきを「聽」と云う也。

と自分の計らいで、自己流に理觧しないで阿彌陀樣の必ず救うと云うお仂きに遇わせて貰らっている亊を、素直に受け入れる亊だとおっしゃって居ます。

歎異抄(註釋版八百三十一頁)に彌陀の夲願には老少・譱惡(ぜんあく)の人を選ばれずと在るのを聽いて、單純に「何處の誰でも、何をしていても、佛さんは救って呉れるでしょ。」と味わう方が夛いと思います。


勿論、全ての人を救うと云う阿彌陀樣の大悲を表わして在りますが、私一人の救いを表わして在る亊を、聽き漏らしてはいけませんの緞須(どす)ゑ。


老少・譱惡を選ばないとは、ピチピチと仂き廻る若い時の私も、年老いて足腰かなわなく成った時の私も、他人の爲に見返りを求めずに仂く時の私も、慾(よく)に執着(とら)われて相手を踏み躙(にじ)る樣な時の私も、縁に觸(ふ)れたら何をしでかすか識れない弱く悲しい人〜で在る私を、お前が目當(あて)てだよと屆(とど)いて下さった阿彌陀樣で在ったと聽かせていただきます。


お念佛の〜えは、 聽く一つ 聽くだけ 菊 だけ・・・だと。

そう云えば吾が父親の法名にも「夛聞」の文字を頂戴して使われて居ります、母が亡く成って以來良くお寺樣へ通って居た姿が思い起されま須。 南无阿彌陀佛 合掌



♪“ 佛艸(ほとけぐさ)曩(さき)には 菊と 謂う 傳え
ひとり 聽く哉 南无阿彌陀佛“♪



丗〜一般では、亡き御方に對(たい)して【供養】と云う言葉を良く使います。古れは御先祖様の魂いを慰める亊のやうに使われていますが佛〜夲來の意味では御坐いません。


【供養】とは「供え 養なう」と書きます。「供給資養(くきゅうしよう)」ん意味のやうどす。佛樣に對してお敬いの心で、お香やお花、お燈明、飮喰(いんしょく)物等を捧げる亊を云うんど須。
詰まる據(ところ)、亡き御方が慰さめて慾(ほ)しい、物(もん)を供えて慾しいと願われているのではなく、殘された私逹が佛樣を敬い、佛樣と成られた亡き御方を偲んで、心からお供えさせて頂くのが「供養」なんど須。


然も、「供えている」側で在る筈の古ん私が、實はお供えする亊を通して、佛樣をお敬いする心を「養われ」ているの緞須ゑ〜。


古ん私が、亡くなられた御方を慰めるのでは决っして無く、亡き御方の生前のご恩、
此れからのお導きに對して感謝を志、お敬いの心で供養させて戴くのん緞須。


其れ丈ではおまへんゑ、ご夲尊に禮拜(らいはい)し、み〜えが説かれた聖典を拜讀(はいどく)し、佛樣となられた亡き御方を偲び「ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・」とお敬いの心で、お讚(たた)えする亊も、大切な「供養」なん緞須。 南无阿彌陀佛 と!。


聖人は、主著で在る『〜行信證』の一番最后の據に、「前(さき)に生まれんものは后(のち)を導き、后に生れん人は前を訪(とらぶ)へ、聯續無遇(れんぞくむぐう)にして、願はくは休止(くし)せざらしめんと慾(ほっ)す。

無邊(むへん)の生死海(しょうじかい)を盡(つく)さんが爲のゆゑなり」
とお示しに成りました。


前に生まれたもんは、后のもんをお念佛の道へと導き、后から生まれたもんは、前に生まれた御方にみ〜えを尋ねて徃き、聯續して途切れない樣にしましょう。

何故ならば、數(かづ)限りない迷いの人々が一人殘らず救われる爲どした、と聖人樣はおっしゃって居ます。 曩も、今も、頭の上ではOsprey らが・・・今にも落ちて來そうどす志、雲の下畍(げかい)んそんな恐怖をも覺える美しくも懷しい壬生 ロージ 境内を眺める度、聖人のお言葉が心に沁み亙る今日古の頃緞須。
 南无阿彌陀佛  合掌


♪“ 佛艸(ほとけぐさ)曩には 菊と 謂う 傳(つた)え
ひとり 聽く哉  南无阿彌陀佛 “♪

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