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作品名 禅と骨 評価 評価評価(2)
タイトル 感動に至らず
投稿者 パトラッシュ 投稿日 2017/09/25 09:05:22

私はかねがね「禅」及び「禅宗」というものに、興味がありました。
この国の仏教の中でも、最も難解とされているからです。
かつて司馬遼太郎さんは、その文中において、次のように述べています。

「仏教の目的は、解脱にある。解脱とは、
煩悩から解放されることであり、
煩悩とは、人間の生命と生存に根差す、諸欲をさす。
とすれば、生きながらにして、人間を辞めざるを得ない。
親鸞は、その事に、疑問を感じたに違いない」
司馬さんは、このように、易行道である、浄土系仏教を語りつつ、
難行道である、禅宗にも、話を及ばせています。

「禅は、普通の人間では為し難い」
「禅は、百年に数人出るか出ないかの、天才のための教義かもしれない」
とまで言っています。

私は衆生であり、凡愚であり、百年禅定を続けたって、
解脱なんてことには、至れません。
正法眼蔵なんか、自慢ではありませんが、何度読んだって、
理解出来ませんでした。
禅宗に対し、近寄りがたいものを感じています。
だから、私の、禅宗に対する興味たるや、遠い高嶺を眺めて抱く、
憧れのようなものであります。

 * * *

「横浜生まれの日系アメリカ人僧侶 ヘンリ・ミトワ。
枯淡の境地の人……と思いきや?……」

映画の広告を見て、このキャッチフレーズに、私は、興味を抱きました。

「京都嵐山・天竜寺に一風変わった禅僧が居た。名はヘンリ・ミトワ。
1918年アメリカ人の父と、新橋の芸者だった、母との間に生まれた。
時代の波に翻弄されながらも、日本文化をこよなく愛し、
茶道、陶芸、文筆にも優れた才能を発揮した」

これを読み、この映画を、見てやろうと思いました。
そこに、高嶺の花、禅宗への憧れがあったことは、言うまでもありません。

「古都の多彩な文化人や財界人に囲まれ、悠々自適の生活を楽しむはずだった。
しかし、八十歳を目前にして、突如、映画を作りたいとの夢を持った。
童謡『赤い靴』をモチーフにした、アニメ映画である。
それを機に、家族や周辺の人々を巻き込み、
彼がそれまで築き上げて来た『青い目の文化人』という地位から、
大きく逸脱して行く」

私は、慌て者であり、この部分を、よく読まなかったのです。
さながら、高嶺にばかり目がくらみ、その山裾まで、見ようとしなかったようなものです。

この映画、ドキュメンタリーが主軸になっています。
ミトワさんを被写体とする映像を、可能な限り集め、
組み立てたと思われます。
病み衰え、やがて死んで行く。
近親者の手により、棺に入れられるところから、骨となり、
やがて埋葬されるため、粉々に砕かれるまで、映像は執拗に、
彼の生と死を追って行きます。

一方で、映像の残っていない、幼年期や青少年期はどうするか。
俳優を用い、ドラマとして、組み立てるよりありません。
ドキュメンタリーとドラマ、その継ぎ目の部分に、段差が生じるのは、
やむを得ないことかもしれません。
その段差を、どう受け止めるか、それは、観客により、様々でしょう。
頭の鈍い私は、その段差を、自分の中で平準化させるのに、
少し苦労しました。

それにも増して、理解の及び難かったことがあります。
ミトワさんが「赤い靴」の映画を作ろうと、念願するところです。
戦時下「敵性外国人」として、日本には居辛く、
さりとてアメリカに渡れば、今度は、収容所暮らしを余儀なくされる。
その身に、赤い靴の少女の、悲しみを重ね合わせ……
という説明がなされていますが、それは、言葉の説明だけで、
彼の切々たる思いは、さっぱり伝わって来ません。

結局、この映画は、何を伝えたかったのか……
私には、よくわかりません。
もちろん、禅宗への理解が進んだ、なんてこともありません。
あれもこれもと、詰め込み過ぎ、逆に、映画の本筋をぼかしてしまった。
映画の原点、つまり、観客をして感動へ至らしめる、
というところから、遠く離れてしまった。
そんな気がしてなりません。

少し、辛辣かもしれませんが、☆☆とした所以です。
しかしながら、映画館に、客は結構入っていました。
空席率50%、これは、この種の、非娯楽映画としては、
良い方ではないでしょうか。
私は、館内は、がらがらに空いていると、想像していましたから。

理由が二つ、考えられます。
青い目の禅僧に、興味を持つ人が、少なくなかった。
そしてもう一つは……
大手映画会社の、配給ルートに乗る映画ではないから、上映館が限られている。
そこで、遠路を厭わず、篤志の観客がやって来た。
という推理ですが、果たしてどうでしょう………

私の妻は、当初「あーたが見るの?…なら、あたしだって」と言っていました。
「どうも、難しそうな映画だぞ」と、私は、映画の広告を見せ、
釘を差しました。
後で、苦言を呈されるのは、かなわないからです。
「じゃ、止めとく」
彼女は、あっさりと、引き下がりました。
何か、感じるものが、あったのかもしれません。
同じ広告を見ても、その紙背に徹する眼光において、彼女の方が、
鋭かったのでしょう、きっと。

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コメント

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パトラッシュさん

ご参考までに

この映画、関東地方では、下の三館にて、上映されております。

ポレポレ東中野、キスカ大森、横浜ニューテアトル

ご興味のある方は、所在地など、検索により、お調べ下さい。

2017/09/25 16:33:50

シシーマニアさん

おはようございます。

偉人を映画化するのは、難しいからかな、と思いながら読み始めました。
ショパンや、ベートーヴェンの映画では、例え顔が似ていなくても
、演技者としてもう少し奥の深い人を配役していたら、と思うことが多いので・・。

でも、読み進むうちに、「モデルとなった人が、果たして宗教人としてどうだったのだろう」という印象を受けました。

多分に、自分に引き寄せて、解釈していますが・・。

2017/09/27 06:52:49

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
コメントを頂きながら、旅行に出ておりまして、返信が遅くなりました。
申し訳ありません。

ヘンリ・ミトワさんの宗教活動は、映画の中で、ほとんど見られませんでした。
ドキュメンタリーということもあり、映像にするのが難しかったのかもしれません。
宗教家としてどうだったのか……
私も実は、そこが一番知りたかったのですがね。

多分に消化不良でした。
なまじ、ドキュメンタリーにこだわらず、配役を立て、ノンフィクション映画として、作った方が、良かったかもしれません。

2017/09/28 20:04:29


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