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安芸津彦神社(官幣社)・三翁神社(角振社)〜おぎおんさん 

2012年01月07日 外部ブログ記事
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安芸津彦神社(官幣社)  厳島神社兼帯七社
 
広島市の祇園に鎮座
祭神は安芸津彦神、安芸津姫神
 

 
 

 

 
             細い道を入った所にあります。


      
     石灯篭     天保六年製

 
      昭和63年に消失し平成元年に再建された拝殿 コンクリート製です。

 
   本殿もコンクリート造り chotto gakkari

 
       昭和三十九年の狛犬。テントがあってよく見えませんでした。

 
狛犬 あ形 尾立て構えの面白い顔です。
なぜか口が赤で塗られています。

 
   
              三翁神社(角振社) 厳島神社兼帯七社
       府中町の三翁神社。
   主祭神は角振隼総明神。佐伯之翁、岩木之翁、所之翁。
  拝殿は二階らしいです。1階は集会所になっていました。

う〜ん            gakkari




 
 
 
安芸津彦神社近くの祇園社(安(やす)神社)は盛況でした。
安神社は、広島で゛おぎおんさん゛の名で親しまれ、京都祇園の末社で、祇園地名の起源です。


 祇園には古い町屋が残っています。



 
 
 
祇園社(安神社) 厳島神社兼帯七社ではありません
 
   
京都祇園の末社もと安芸之国祇園社と称し祇園地名の起源、明治2年安神社と改称。

 縁起によると貞観11年(869)国家鎮護を祈願して出雲の神々を勧諸したのが始まりという。一説に元慶5年(881)大和国長谷寺より別当寺感神院の祖僧有尊がこの地に来たと伝えられこの時の創祀ともいう。当初は銀山(武田山)の麗南下安村松尾山にあったが正安元年(1299)の例祭の日厳島社司佐伯郡桜尾城主、平員家の軍勢が銀山城を攻めた際兵火により焼失した。御神体は御旅所(現在の境内地)に御神幸中で無事であった。

その後銀山城主武田家によって嘉元年間(1303〜6)現在地に社殿が再建された。武田家滅亡後永禄3年11月(1560)毛利元就が社殿を再建。
 文禄3年(1594)毛利輝元が葺替を行っており、広島城築城の際には当社の社領だけを除き、用材を伐採してよいとの達しを出した事は有名である。
 また福島氏、浅野氏にも篤く崇敬され文化13年(1816)社殿の一切を立て替えた。が、明治43年(1910)不審火により社殿が焼失する、現在の社殿は大正2年(1913)に再建されたものである。         (ホームページより)
 
   靖国鳥居

 
本殿は拝殿より大きいです。
大正二年再建、神明造五間三間、高さは千木までいると約十五メートルあり、
神社の本殿としてはかなり巨大な建造物で当時の繁栄をうかがえます。


 
          境内図


文政元年(1818)製  来待石だと思います。 うん形


 
あ形

 
 

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