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太平洋戦争史−(完)「戦いすんで日が暮れて」 

2011年12月10日 外部ブログ記事
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太平洋戦争は今から66年前の昭和二十年八月十四日、日本は連合国に「ポツダム宣言」の受託を通知し、日本の無条件降伏でその幕を閉じている。

振り返れば、昭和16年12月の開戦から3年9ヶ月、昭和12年の日中戦争から数えれば9年、さらに昭和6年の満州事変まで遡ると、実に15年に及ぶ長い戦争が日本の大敗北でようやく終っている。

ここに、“日出る国・日本帝国”は崩壊したのである。


以下、「太平洋戦争・負債勘定」である。

 1、人的損害・・・全戦没者310万人以上(日中戦争死没者18,9万人含む)   
    軍人・軍属の戦死・行方不明:240万人(陸軍約183万人・海軍約57万人)   
    空襲・その他による一般市民の死者:70万人(うち原爆による死者:32万人) 
 
 2、物的損害・・・兵器の損害は当時の価格で700億円 
    軍事的損失:航空機52,700機 ・ 艦艇870隻
    商船被害:損失814万トン・大破75万トン

 3、戦  費・・・当時の価格で総額7,559億円(日中戦争以降の総軍事費)    
    昭和19年度における軍事費の歳出予算に占める比率は85,5%

 4、物的資産被害 ・・・被害総額は当時の価格で653億円   
    建物・家財道具・港湾・運河・船舶・鉄道・車両・通信設備

◆おわりに◆

三百十万に及ぶ人命の損失、おびただしい国富、その他物的の莫大な犠牲や巨大な戦費を注ぎ込んだにもかかわらず、日本は無条件降伏に至っている。

壮大な大東亜共栄圏のことも“夢のまた夢”で終り、辛うじて残された日本本土、そして外地の軍人、軍属及び居留民約七百万人が引き揚げねばならなくなった。

これが敗戦当時の日本の姿である。
“こんな無謀な戦争は決して二度と繰り返してはならぬ”太平洋戦争の最大の教訓である。

                (完)

12月6日から五日間に亘り 幣拙文にお付き合い戴き 有難うございました。

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