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ZRX1200S城

一乗山城〜常国寺 

2011年12月07日 外部ブログ記事
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一乗山(いちじょうさん)城
室町・戦国時代を通じ備後、沼隈半島を支配した渡辺氏の居城です。
    
   渡辺氏は、羅生門で鬼の片腕を切ったといわれる渡辺綱の一族といわれ、   その名は代々、兼、高、景のごとく一字だけを使う一字党と呼ばれる氏族です。                                 

当時としては珍しく戦乱に合わなかった城です。
 
 福山市の南部、沼隈半島のほぼ中央に位置し、南東の山を一つ越せば、
 鞆の港に出られます。                               
 
渡辺氏が備後山田荘に入った時期は明らかではありませんが      
鎌倉末期に渡辺戸友綱が移って来たのが最初と考えられています。   
 
一乗山城が築かれたのは、その約百年後の文明年間(1469〜1487)で
越中守・兼(かねる)の時とされています。                       
    菩提寺の常国寺もこの頃、兼が建立しています。                
 
五代に渡り、一乗山城城主となりました。
越中守・兼〜出雲守・房〜源三・高〜民部少輔・元〜民部少輔・四郎左衛門・景                
渡辺民部少輔・元は輝元から鞆に来た足利義昭の警固衆を命じられました。    
 
関が原(1600)後は毛利氏の防長移転により廃城となり、渡辺氏は浪人となりました
 
景は浪人後、仏門に入り、その子らは水野家の家臣に取り立てられました。                
一乗山城図  (備陽史探訪の会)                             全周に竪堀を巡らせた堅固な構え 


 
七面大明神参道

 
七面社の横を上がります。

 
 
郭。低い石積みもありますが、城の遺構かどうかは不明。

   
本丸の土塁
土塁の向こうは切り岸になっていて十メートルほど落ち込んでいます。
いまは竹薮となっています。


 
土塁上から本丸を見る。

 
土塁の前には石垣の石と同じ大きさの石がひとかたまりにおかれています。
これは、「石つぶて」だと考えられています。

 
 

本丸の土塁から切り岸を下り五連の空堀を見に行きました。


 
二段目空堀、写真では分りづらいですが、7,8Mのくぼみです。

 
畝状竪堀
肉眼では結構くっきり見えましたが、写真ではなんだかよく分らないです。

 
部分的に石垣が残っています。
街道方向から見える位置に石垣が築かれていたようです。


 

 
井戸
珍しい横井戸で今でも水を湛えています。
斜め45度に掘り下げられかなり深いようです。

 
井戸の横手には本丸から伸びる竪堀があります。
かなり埋まってますが、長い大竪堀です。



 
 
常国寺
文明年間(1449〜1486)に一乗山城城主、渡辺越中守・兼(かねる)が
日親上人を開基として建立、菩提寺としました。              
 
             本堂            

 
天正四年(1576)に将軍・足利義昭が鞆に流寓してきた際には
渡辺四郎左衛門・景が警固、接待を努め、当寺に滞在しました。
 
足利義昭胴肩衣(とうぎぬ:市重文)があり、現在でも常国寺に残されています。
 
常国寺唐門

唐門(境内から)

 
戸に桐紋の彫刻がなされています。                   
     現在の唐門は江戸中期に再建されたものといわれますが、               
  戸に桐紋の彫刻がなされているのは、足利義昭が常国寺に逗留中        
ここを将軍館として使用した名残りであろうと思われます。           
   津之郷に移るまで3年間、常国寺に滞在したといわれています。               

 
厚さ1CMも無い薄い板に彫刻されています。
かなりひわっていて、もう割れそうでした。

 
寺の裏にある渡辺家の墓


 
常国寺裏より一乗山城を見る。


今回は備後の城を知り尽くした先生と登城出来、大変勉強になりました。
 
 
 
 




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