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以王山城址 

2011年12月02日 外部ブログ記事
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                 医王山城

標高340m(比高190m)の山頂に築かれた山城で、祝山城、岩尾山城とも表記されます。

北東を大手、南を搦手とし南北に細長い曲輪を連ねています。
本丸は北端にあり、東西12m、南北20mの平坦部の西側と北側に石垣が築かれています。
北の峰続きは堀切で遮断されています。二の丸は、本丸の南方に細長く続く平坦部で東側の一部に土塁が確認されます。さらに、その南方に三の丸が位置します。
 
初めてこの地に築城したのは、南北朝期以前の上道是次であるとされています。その後、南北朝抗争の際、毛利方の湯原春綱が籠もり宇喜多勢と攻防を繰り広げますが最終的に美作は宇喜多領となりました。             (津山市の文化財より)


美作、因幡をつなぐ要所で南北朝期には山名氏と赤松氏の抗争があり
天文年間(1532〜)には尼子氏が侵攻。

永禄九年(1566)に尼子氏が富田城で滅び毛利氏の属城となります。

天正八年(1580)に織田・羽柴陣営に寝返った宇喜多氏の攻撃をうけました。

枡形城主の福田盛雅が以王城主を兼ね、毛利輝元は湯原春綱を在番衆として送り、約二年間篭城し持ちこたえ、宇喜多氏は撤退しました。

しかし、天正十年(1582)の毛利と秀吉の和議により、美作は宇喜多氏の所領となりました。


備陽史探訪の会のバス例会で津山を探訪して来ました。


説明板


本丸看板の城郭図


麓の岩尾寺


岩尾寺の裏に登山道が付けられています。

医王山城跡保存会により整備されました。
これだけの山城を安全に登り堪能できるのも保存会のおかげです。


つづら折の急な道で一気に高度を上げて行きます。



本丸よりの展望


本丸上は大混雑です。

二の丸方を見る。


本丸虎口 
本丸は石垣が多用されています。
宇喜多氏が入ってからの改修だろうと云われます。

土塁、石垣

人が多くあまり風景が撮れませんでした。

いつもはほとんど一人での登城なのですが大勢で登るのも面白かったです。
下山の途中、麓から笛の音が聞こえだし、祭りか何かの練習かと思いましたが、
岩尾寺の和尚さんが我々の為に吹いてくれていてようでした。
山間に笛の音が響きすばらしかったです。


最寄駅の美作滝尾駅。

「男はつらいよ」のロケ地にもなったそうです。

ロケ写真


この後、津山洋学資料館




院庄館に行きました。

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