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ニャンコ座リポート

音師の3つの教え (4/26) 

2024年04月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 道新「読者の声」掲載の謝礼が来ました。商品券2,000円分です。 昨日、さっちゃんに施術してもらって、コチコチだった体がプニュプニュになったような気がして、良かったなぁだったのですが、すっきりはしていません。この体調とどう付き合っていこうか、振出しに戻ったのかと思ってしまったり、楽しく張り切ってはいるのですが、こんなじゃ無理、おこがましいんじゃないかと思ったり、揺れます。 さっちゃんがのど自慢に出て、自分が音楽に目覚めたきっかけ等を話していて:さっちゃんがハモリの楽しさを知ったのは、私が教えた「気球に乗ってどこまでも」だったと:19年ブログを書いていて初めてではないのですが、音師の事を再び書きたくなりました。これは恩師の間違いではありません。 中学の音楽の先生は、大学出たてのアツシ先生でした。音楽室で、カラオケのレコードかけて「もう飛ぶまいぞこの蝶々」を歌っていたのを聴いて、腰抜けました。大学で、教員にならずにプロの歌い手になるよう勧められたを振り切って、田舎の中学の音楽の先生の道を選んだそうです。 父が死んで、母の願いで音楽教師を目指したのは、アツシ先生の出身校でした。学生時代に先生に会えた時に言われたのは、「大学で音楽を勉強した者は、社会に出たその場所で、音楽をがんばって還元してほしい」でした。 30代だったと思うけれど、その時に言ってもらえたのが、「教え子の中で、音楽とのかかわりを強く持って生きていると知ると、嬉しい」です。 そして10年位前だったはずだけれど、先生と地元の若い演奏家とのコンサートに行った折「自分が演奏を続けることも大事だけれど、若い人たちに発表する場を提供していきたいんだ」と、迷いなく言ってくれました。 私は何とすばらしい音師に恵まれたのか、揺れる心の渦中に思い出せたのは幸いでした。 アツシ先生は、10歳年上です。でもまだまだ地元で音楽活動をしています。実は4つ目がありまして「いつか彼女(私の事)の音楽会に賛助出演して祝ってあげられたらと思っている」なのですが、これが実現するのは・・・。本日のネリ心の短歌さいかちの薄黄色してひっそりと  立たずむ姿刺を隠せりいつからか傷つけあえる虚しさを  知りて指環をテーブルの上晴れ渡った空の下、ニャンコ桜🌸が開花していないかと、穴のあくほど確かめましたが、私のぼんやりした観察眼では発見に至らず。でも間違いなく今日中に開花すると思います。本日から、定点観測しようと思います。

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