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呉〜音戸 

2011年11月18日 外部ブログ記事
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 大歳神社



大歳神社は、天照大御神や須佐之男命などを祭祀とし、明治四十三年(1910)にこの地に鎮座

この神社から川原石港、呉港の全容を眺望することができます。

大歳神社の一段下の広場は金比羅山公園になっていて、正岡子規が呉港の美しさを詠んだ自筆の句が刻まれている碑があります。

鳥居





有崎城跡でもあります
            
かつては呉湾の西端の岬に築かれた城でした。

城主は呉衆の山本氏、石田氏、野間氏、末永氏の名がありますが
勢力抗争の間に何度も変わったらしいです。

室町後期には野間氏の勢力圏に入ったと思われます。

周囲は宅地化し城の痕跡はありません。     
                                        
コンクリートで固められた小山になっています。



金比羅山公園


正岡子規の句碑


  大船や 波あたたかに 鷗浮く


日清戦争のさなか明治二十八年(1895)3月9日

28歳だった子規は、従軍記者として中国大陸へ渡航の途上、鎮守府が置かれていた
呉港から出航する連合艦隊旗艦「松島」に乗り込む友人、古嶋一雄を見送るため宇品から川原石に来航して一泊しています。

この句は、そのときの呉港の美しさを詠んだものです。


金比羅山公園の少し上から呉方面を見る。


本殿


狛犬


拝殿
入母屋?しぶい造りです。


拝殿裏から広島方面の展望



亀山神社

由緒
筑紫国宇佐島より 後国姫島に御遷座、
人皇四十代天武天皇の御宇白鳳八年八月十五日巳刻に姫島より
安藝国 栃原村甲手山に天降り給ひ、後、
人皇四十二代文武天皇の御宇大宝三癸卯年(703年)八月十五日、
呉宮原村字亀山 (素は入船山と称せしも御遷座の時亀山と名付く)の地に鎮座せり
                   

旧呉市内の総氏神として信仰されています。

八幡神として品陀和気命(応神天皇)帯中日子命(仲哀天皇・息長帯日売命(神功皇后)を祀る。


「大屋津日売神社」「鈴音宮」「日売島神社」「大帯日売神社」「八幡宮」「皇城宮」といろいろな呼称がされていましたが、明治維新後は「亀山神社」に社号改称されました。
一般には「八幡様」と呼ばれていました。

明治十九年(1886)亀山に呉鎮守府を開設するのに伴い現在地に遷座しました。

一の鳥居


二の鳥居


由緒


参道


拝殿
七五三の参拝で一杯でした。


本殿  三間社流造、 銅板葺
非常に美しいです。


本殿は混雑していたので狛犬だけ撮って早々に引き上げました。

後ろ足玉乗り、綱くわえ

同上、あ形

玉乗り あ

玉乗り うん

長ひげ あ

長ひげ うん


二の鳥居下


呉一の広く美しい神社です。

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