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昭和2年生まれの航海日誌

こんな村に生まれていた 

2011年11月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 数少ない本ではあるが、ぼつぼつ片付けておこう。
ケースに入った郷土史がでてきた。田舎に居たとき、
配布され眼を通したことを思い出した。

 ここが大阪でなかったら処分してしまうところだった。
もう一度読んでみよう。

 捲っていくと「魚とりあれこれ」があって童心に戻れ
た。
 だが、腹の底まで衝撃が響く「伊勢暴動」「人柱」も
続いていた。

 「伊勢暴動」は、確かに重税が直接の原因である。
 人間の歴史は川から生まれる。生活の源泉としてそこに
櫛田川があった。

 明治9年魚見地区の堤防が決壊,氾濫して大被害を蒙った
ことが伊勢暴動の原因とするならば、その伏線には人柱が
の犠牲も無視することはできない。

 全国には、多くの人柱の伝説があるが、ここのは事実で
あった。日本民族の汚点である。
 頌徳碑を建立して供養するより、懺悔碑を建てるべきだ。

 彼らは、こうまでして生きている、懺悔すべきこまでも
憤懣に代え暴動を起こしたものである。

 伊勢暴動の発頭人と目された中川 九左衛門は服役し、
その邸宅は戦後取り壊された。

 増税に耐えられなくなったらどうしよう。俺の村だけ
ではない、日本だ。

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