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桃色
2024年02月08日
テーマ:読書案内
きのうのブログで向田邦子さんを取り上げて、思い出したことがある。
「物心ついてから、私は桃色の洋服を着たことがない」。
向田邦子さんのエッセイ集(『夜中の薔薇』<講談社文庫>)にこんな一文があった。
なんでも向田家では「桃色を卑しむ空気があった」。桃色は「下品。ふしだら」で、「物堅い月給取りの家」にとって「一家の稼ぎ手である父が『桃色』のほうへ傾くことは、家庭の平和にとって由々しき一大事」で、「女たち(嫁姑)が必要以上に桃色を卑しみ、父のほうも、それに同調する姿勢を見せることで、家長の威厳を保っていた」。
おかげで邦子さんは「今でも桃色に対してうしろめたい気分になる」。そういえば亡くなった邦子さんの生前の写真を見ると、ほとんどが黒でまとめていたように思う。邦子さんは初めての給料で、外国女優が着ていた「黒い水着」を買ったという話を読んだことがある。
病を得て入院したことがある。ぼくだけだろうか、(明るい色という意で)桃色を好むようになる。私ごとで恐縮だが、病気前は、黒か紺、茶のスーツやブレザーしか着たことがなく、桃色などは「論外」であった。
沈みがちな気分を明るくしようと意識して桃色を着たことがある。色彩心理学では、桃色は淡い恋の色であり、幸福をイメージさせる色で、高まる気持ちをリラックスさせ落ち着かせる効果があるという。
日本で桃色というと「桃や桜の花」というイメージが強いが、欧米では「バラの花の色」をさす。幸福な「バラ色の人生」である。エディット・ピアフは「彼が私を腕に抱いて、そっとささやくと、私には人生がバラ色に見える…」と「バラ色の人生」を歌う。
パブロ・ピカソにも「バラ色の時代」があった。親友の自殺にショックを受け、青だけでメランコリックな心情を表現した「青の時代」の五年後、恋人をえて、幸福感いっぱいに描き上げた「バラ色の時代」を迎える。
バラ色の時代を代表するといわれる「サルタンバンクの家族」がピカソのバラ色の時代を代表する作品といわれる。
嗜好、趣味の問題だが、ぼくの場合、入院したことがあり、向田邦子さんの「黒」を脱ぎ捨て、退院の後、はじめは勇気がいったが「桃色」を着たとたん、はっきりと言葉にはできないが、何かが変わった。この「変わった」ことに大きな意味がある。自分を、今とちがう自分にすることで、病に対する考え方も変わる。
ピカソは勇気づけられる美しい言葉を贈ってくれた。
「明日描く絵がいちばん、すばらしい」
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