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筆さんぽ
「ハミングバード」
2024年01月28日
テーマ:筆さんぽ
ニックネーム「ハミングバード」のこと
若いころの自分になって書いている。青臭い文学かぶれの青年のような話になるが、お許しいただきたい。
ニックネームは田村隆一さんの『ハミングバード』からいただいた。
小鳥の内部には 細長いクチバシの
小鳥が歌をうたっている
人間の内部には 人間がいない
という田村隆一さんが好きだった。
若いころ、雑誌の編集の仕事をしていて、田村隆一さんにウイスキーの話をうかがったことがある。
詩人は、スコッチの愛好家で「金色のウイスキー」「金色の液体」といった愛着の表現をよく用いていた。『青いライオンと金色のウイスキー』という詩集や、実際に本場スコットランドを旅してのエッセーも著している。
鎌倉のお宅に原稿をいただきにうかがうと、詩人はウイスキーを片手にすでに酔っていた。そのときのぼくは、茶色いネクタイをしていた。詩人は、「琥珀のウイスキーがぶら下がっているな、ぼくにくれないか」。
ネクタイをはずして手渡すと、グラスをかざして、ありがとうと言った。お礼に詩人の詩集をいただいた。帰りの電車のなかで『言葉のない世界』を開くと、心を突き刺す言葉が飛び込んできた。
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか
(中略)
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙の中に立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
正直に言うと、田村隆一さんの詩はよくわからない。わからないけれど、何かが心に響く。それを知りたくて手放さない。
ウイスキーの詩人(とぼくが思っている)、田村は「言葉のない世界」のなかで、こう続ける
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
田村は経験を信じないという点で、戦後の暗黒時代のことごとく生きる詩人であったように思う。田村は戦後の社会は破滅的要素に満ちていると考えていたのであろう。
地上にわれわれの墓がない
地上にはわれわれの屍体をいれる墓がない
と田村は終末的ニヒリズムを書いた。
仕事で田村に会ったときは「幸福な夫」になっているように見えたが、田村はウイスキーなしでは生きられない日常に「唯一の道」を見出し、にがい心の漂流物を酒場に漂着させては、自分自身の「失われた週末」を数えている。
おれはまだ生きている
死んだのはおれの経験だ
ぼくは、田村のこんなフレーズが好きだ。
ここには、上質のウイスキーのような口当たりのよさと、心地良い陶酔とがある。
しかし、自身の破滅を通してしか世界を語れなくなってしまったということは、あまりにもさびしすぎる決着ではないだろうか。
ぼくもそうであったように思う。
ウイスキーを水で割るように
言葉を意味の水で薄めるな
若いころのぼくは、この実証不能の言い回し、暗喩に酔って、田村隆一がそうであったように、ウイスキーを手放さなかった。
田村の詩に酔っている。
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
真夜中、机のパソコンに向かって詩を綴ろうとしたとき、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と思うことがある。
言葉を覚えなければ、詩を書こうなどと思わないし、知らなくていいことまで知ってしまったり、言わなくていいことまで言ってしまったりすることはないであろう。
この世に言葉がなければ、ケンカもないだろうし、別れもない。
誰とでも無関係でいられるから、気が楽であろうか。
だが待てよ
心寄せた人に、
百日紅が熱をおびたように燃えるぼくの気持ちを
どう伝えたらよいのであろう。
それは言葉ではないように思う。
やはり「言葉なんて覚えなきゃよかった」のだろうか。
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