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広島城 企画展・福島正則の20年 

2011年11月13日 外部ブログ記事
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天正十七年(1589)毛利氏の当主・毛利輝元が太田川三角州(当時の名称は五箇村)に築城を開始
慶長五年(1599)に完成



慶長五年(1600)関ヶ原の戦い後、毛利氏は防長二国(長州藩)に減封され、広島城は福島正則の        居城となりました。

元和5年(1619) 洪水による被害の修復を幕府から無届け改築ととがめられ改易され、
        信濃国川中島へ転封されました。
        
        代わって紀伊和歌山より浅野長晟が入城しその後、明治時代に至るまで
        12代約250年間にわたって浅野氏の居城でした。



案内図


まずは周囲を廻って見ます。
東隅。かつては櫓がありました。


東隅から天守方。


福島正則が破却した石垣


本丸石垣。木が茂っていて中々天守が見えません。


天守下からの堀
かつては堀沿いには塀が巡り櫓が建てられていました。



天守
戦前は他の現存する建造物とともに旧制の国宝に指定されていました。

原子爆弾投下で爆風の衝撃波と圧力により下部2層が上部の重さに耐えきれず倒壊し
間もなく上部3層も崩落、大量の建材が天守台や北東の堀に散乱しました。

散乱した建材のその後に関しては公式文書には一切記されていません。

生活に困窮した市民が使用したという証言があるほか、被爆者を救済するため、
瀬戸内海の製塩業者に建材と塩を広島市が交換したともいう。

現在の大天守は昭和三十三年(1958)に「広島復興大博覧会」が開催された際、
鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元されました。最上階層は木造で復元されています。
コンクリート造の城の中ではなかなかの出来だと思います。



模型

この図と見比べると面白いです。


吉田郡山城図


四層が企画展・福島正則の20年の展示場になっていました。
絵図、書状の展示があります。
例によって写真禁止ですが、こんな感じです。


広島城の引渡しには中四国九州の大名が動員されたようです。
松平輝綱を筆頭に、森忠政、堀尾、毛利秀就、松平忠雄
池田光政、加藤嘉明、細川忠興らの名もあります。


最上階より


二の丸。
菊展のテントであまり見えません。


二の丸説明板
平成の復興ですが、当時の工法に忠実に復元


橋も工事中






家康とは仲がよかったようですが、家康なきあとの幕府にとっては
怖すぎた存在だったようです。

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