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葵から菊へ
満州の黄土に毒ガス弾を探した同行記「鈴木共明編」
2023年08月24日
テーマ:テーマ無し
2006年山森良一弁護士に同行して、鈴木元明氏の自宅を訪問した報告です。
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先週末の11日、山森良一先生にお供して宮城県栗原市志波姫新沼町(東北新幹線くりこま高原駅下車)へ毒ガス弾を遺棄した元兵士の聞き取り調査に行ってきました。 その方は04年9月に高裁で証人となった小林利男さん、陳述書を提出した戸口好太郎さんの戦友で関東軍第一方面軍直轄第16野戦兵器廠技術軍曹(下士官)だった鈴木元明さん(83歳)です。 鈴木さんは大変お元気で軽自動車を自ら運転をして私達を駅からの送迎をして下さいました。また記憶もしっかりしていて当時の年月日を正確に覚えていました。聞き取りは午後1時から5時までの4時間に及びました。 開口一番に麻生外務大臣が「兵士は天皇陛下万歳をして死んでいった」といっているがとんでもない。シベリアで寒さと飢えで死んでいった6万人の兵隊達は何も言わずに死んでいった。死ぬ間際に言ったとしても「お母さん」とは言ったかもしれないと怒っておられました。今回の調査で得られた成果1)署名捺印し陳述書として裁判所に提出しても良いことを快諾していただいたこと。2)河東(かとう)支廠所属兵士による戦友会「一六会」があり、箱根で秋に戦友会を開催していることと、1984年11月に「追想」という会誌を発行していたことが判っかたこと。(会誌は山森先生が拝借してきました。)3)会誌の中には毒ガス弾を遺棄した兵士の記述や小林さんの部隊がいた野積み弾薬庫位置が明記されたイラストもあったこと。4)鈴木さんは兵器廠本部があった敦化市大橋(たいきょう)勤務であったために第一方面軍からの命令・伝達についての具体的証言が得られたこと。5)大橋駅南方約1キロメートル地点から東側に沙河沿飛行場までの専用鉄道線が分岐していたことは前回の調査で現認していましたが(現在セメント工場でそのレールを使用している)大橋駅西側にも専用線が分岐されいて毎日弾薬を積み卸して野積みにしていた。さらに敦化へのトラックが通れる作戦用道路を本部から奥の方につくっていたがその奥に洞窟を掘って弾薬庫にしていたこと。6)8月17日に「一切の戦闘行為を停止する」第一方面軍依命通達があり、部隊長から天皇の終戦の詔勅を聞かされた。18日にジープに乗ってきたソ連の軍使と部隊長が会談をした後に小銃と銃剣の武装解除があった。19日20日21日22日の暗くなってから命令によって作戦用道路の脇に約2b四方、深さ約2bの穴を掘り、瓦斯弾を木箱の儘埋めた。トラックはライトを付けないで運んでいた。朝になると幕舎の中で寝ていた。瓦斯弾を選別したのは弾薬班である。川の橋の上から瓦斯弾を捨てたという話も聞いた。以上遺棄した状況の証言が得られたこと。7)敦化などに多数の弾薬(瓦斯弾も)が集積されたのは「ト号作戦」によるものである。「ト号作戦」とは本土、朝鮮半島に近接した「新京−大連ー図們」のラインまで防衛線を下げる大本営の作戦。大砲、戦車は本土と南方に運ばれたから弾薬だけとなったのであるとハッキリと説明された。(弁護士平山知子著「若きちひろの旅」には、満蒙開拓団勃利女子訓練所にいた画家いわさきちひろを庇護した戦車隊長がフィリピンに移動した事が記述されている。) 河東に部下10数名を連れての出張中にソ連侵攻となり戦車砲による戦死者戦傷者がでたが戦死者は牡丹江で荼毘に付して大橋まで持ち帰った。戦死者の遺骨は敦化に埋めてきた。遺骨収集に行きたいと思い厚生省、外務省に電話をしたが中国ではできないと言われたが諦めきれないし、心残りであると言われたことが重く印象に残りました。
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その後、陳述書を裁判所に提出した頂きました。中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第329号証鈴木共明氏
2009年5月1日から7日まで、鈴木共明氏ご夫婦に同行して毒ガス弾を遺棄した場所を調査し、4〜6日からは、クラウン旅行社が企画・催行した「劉くん周くんを励ます」ツアーに合流しました。
このイラストは関東軍第16野戦兵器廠の元隊員有志が私費出版した部隊史「追想」にある地図を小林利男氏が補足したものです。
図のB地点に行きましたが、中国人民解放軍施設となってるために立ち入ることが出来ませんでした。鈴木氏は、河東でソ連軍の攻撃によって戦死した部下を牡丹江で荼毘に付して、大橋まで持ち帰りました。戦死者の遺骨は敦化に埋めてきましたので、日本から持参した位牌を立てて追悼することが出来ました。同行した通訳は「哈爾浜中国旅行社有限責任公司副経理」房若林氏です。
成田国際空港から延吉空港に到着
大橋の標識
余りにも変わり果てた「関東軍第16野戦兵器廠本部」跡に立つ鈴木共明氏
農家を訪問して話を伺った。
農家の人からも人民解放軍施設だから調査することは無理だと伺い、戦死者の位牌を立てることにした。
命日は、ソ連軍が参戦した昭和20年8月9日でした。
砲弾が見つかった。
人民解放軍施設のゲート
2009年5月3日
鏡泊湖
5月4日、敦化市郊外の馬鹿溝で毒ガス爆弾で被毒した劉くんと周くんの国家賠償請求訴訟裁判を担当している山田勝彦弁護士、菅本麻衣子弁護士が、ツアーの方々と敦化賓館で交流会をしました。
敦化市烈士陵園展覧室
左から通訳房若林氏、山田勝彦弁護士、菅本麻衣子弁護士
5月6日敦化賓館での夕食会
劉くんと周くんの父親に管理人から、新宿区戸山ハイツの小俣佐夫郎氏からのカンパを渡しました。劉くんと周くんの画像は「中国では個人情報」なので掲載しないように菅本麻衣子弁護士から言われています。
挨拶をする大谷猛夫氏
挨拶をする山田勝彦弁護士
挨拶する鈴木共明氏
テーブルの献立
5月7日延吉空港にて
成田国際空港でお別れ
「季刊・戦争責任研究」65号「毒ガス裁判と毒ガス被害者を支える人々の系譜」【再掲】秀逸な映像作品。NHK・ETV特集「隠された毒ガス兵器」
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・東京高裁陳述書」甲第121号証鈴木智博氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第306号証甲斐文雄氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第260号証興梠治照氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第306号証吉田義雄氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第252号証戸口好太郎氏
中国大陸に毒ガス弾を捨てた兵士の「東京地裁・高裁陳述書」甲第251号証小林利男氏
満州の黄土に毒ガス弾を探した同行記「戸口好太郎・小林利男編」
(続く)
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