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葵から菊へ
イギリス大使館が千代田区一番町一番地に所在する事由が判った
2023年05月28日
テーマ:テーマ無し
日頃から、イギリス大使館が皇居吹上御苑を遠望する一等地に所在するのか疑問を抱いていた。
千代田区文化財係学芸員高木氏に質問したところ「麻布から移転する用地を探すために、大名・武家屋敷跡を色々と物色していた。最終的に現在の屋敷跡となった。」と教えてくれた。千代田日比谷図書館にあった「千代田区立四番町歴史民俗資料館」の平成11年度特別展「駐日英国公使アーネスト・サトウとその家族〜明治・大正・昭和の番町・富士見界隈の生活〜」にイギリス大使館の沿革が記載されていたので転載する。
「千代田区富士見2−17」は、法政大学キャンパスで、記念碑が建立されている。(2007年9月27日管理人が撮影)
「駐日英国公使アーネスト・サトウとその家族〜明治‘大正・昭和の番町・富士見界隈の生活〜」から
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開国以来、国内には諸外国の領事館・公使館が多数設けられるようになりました。まず横浜開市に伴い横浜周辺に、さらに文久の江戸開市以後は東海道品川宿から入った高輪.三田.芝周辺に諸外国の公使館が次々と設けられます。用地としては、広大な境内と備藍をもつ寺院が選ばれています。設置場所が高輪・三田・芝周辺に多かった要因は、@江戸と横浜の間に位置すること、A江戸市中でもできるだけ江戸城から遠い場所であることが挙げられます。従って、これら公使館が現在の千代田区内に設けられるのは、明治維新後のことでした。?イギリス公使館の変遷?イギリス公使館は、当初横浜に設けられましたが、江戸開市に伴って高輪の東禅寺を公使館として利用しています。しかし、イギリスには、当初から江戸に恒久的な公使館を設けたいとの希望がありました 。 ところが、1861(文久元)年5月と翌年5月の2度にわたる襲撃事件(第一次.第二次東禅寺事件)や1862(文久2)年12月の品川御殿山公使館焼討事件が起こったため、横浜山手120番に設けられた公使館と江戸を往復する二重生活をせざるをえなくなりました。その後、幕府との取決めで、仮事務所(公使と一部の館員が使用)を高輪泉岳寺のそばに、宿舎を横浜に借りることになり、イギリス側が目指していた恒久的な施設の確保は見送りとなりました。? 明治維新を迎えると、1868(慶応4・明治元)年には高輪の仮事務所から三田台町聖坂上の旧上野沼田藩土岐家下屋敷へ公使館を移し、近隣の寺院2か所を館員の宿舎として借りています。イギリスとしては、賃借料の問題・施設上の問題などから、再度恒久的施設の建設を希望するようになりました。? そのため、1869(明治2)年2 月頃から、公使館用地となるような敷地を探し始めます。イギリスは候補地として旧大名邸を念頭に置き、表2のように「旧尾張藩邸ほか13〜4か所の候補地を外務省に対して提出しています。これらの候補地については、公使と随行の通訳官の現地視察が出願されており、所有者側から視察を断られたり、また視察の結果から建設を断念したものがほとんどです。実は、外務省としても、皇城(皇居)の近くにはできるだけ外国の施設を設けたくないという考えもあったようです。この視察にもサトウは同行し、東京中心部をいろいろと見て回っています。結果的には、1870(明治3)年12月に半蔵門外にあった陸奥盛岡新田藩上屋敷・大和櫛羅藩上屋敷.旗本水野兵部屋敷.上野七日市藩上屋敷の4邸、合わせて1万2306坪余が新しい公使館の候補地となり、敷地内の建物や周囲の石垣の処置などで手間どったものの、1872(明治5)年3月に公使館用地としての仮契約が交わされています。公使館建設は1873(明治6)年に始まり、1875(明治8)年4月には三田台町から移転し、8月には建設工事が完了しています。?
千代田区の外国公使館分布
管理人が作図した(フランスは大隈重信の旧宅を、ベルギーは大久保利通の旧宅を借り受け。)
(了)
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