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田中茂商事株式会社の初代社長田中茂の新聞記事が横浜開港資料館にあった 

2023年01月23日 外部ブログ記事
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父親が16歳で病死したので伯父の家に引き取られ、親戚の松江歯科医院で技工士見習いをした。伯父が三井精機(株)製自動三輪車「オリエント号」の販売店であるミツワ自動車(株)の営業担当だったので17歳の時に自動三輪運転免許を取得した。
松江歯科医院を二年間で辞めてから、伯父が「オリエント号」を納車している金太郎運送店の運転手として働いた。しかし都立日比谷高校定時制の授業に遅刻することが度々あったので学徒援護会の紹介で、中央区銀座二丁目11−3田中茂商事株式会社の倉庫係アルバイトとして入社した。1958年9月21歳だった。同社は、日立金属(株)特約店として戸畑工場製の瓢箪印マレーブルチェンやコンベヤーチェンなどの輸送機器を販売していた。
初代社長田中茂氏は横浜市で事業を始めたと聞いていたので、「自分史」を充実させるために「横浜開港資料館」で調べたところ、新聞「實業之横濱」に記事があった。更に「自転車チェーン」の歴史も「横浜もののはじめ考」(横浜開港記念館発行)で見つけた。
本日「横浜開港資料館」から「複製資料利用許可書」が届いたので転載したい。「利用条件」に「HP・Webサイト等の場合は1年間毎の更新とし、再申請すること。」となっているので、一年後には転載部分は削除する予定だ。
自動三輪車オリエント号の前で(17歳)

「三菱重工業製スクーターシルバーピジョン125CC」で配達していた。(21歳)

ダイハツミゼット三輪車の前で

新潮社刊・泉麻人著「昭和遺産な人々」の表紙 「ブランさんのオート三輪」で上記の写真を新潮社に提供した。

「横浜開港資料館所蔵」實業之横濱満五年記念號より
管理人が赤枠を加筆。



(了)
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