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友人の川口重雄(前田園調布学園中高学校社会科教諭)さんからのメールを転載 

2022年08月27日 外部ブログ記事
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?友人の川口重雄(前田園調布学園中高学校社会科教諭)さんからのメールを転載します。
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各位       8月25日〔本日第1信〕処暑お見舞い申し上げます。安倍晋三の国葬に反対するのは「あたり前のことで、やらなかったらバカだ」という政治家ならぬ政治屋は現れるし、10基稼働中の原発を7基増やして、新たに原発を造ると画面越しに話す首相は出てくるし、「3・11」の教訓も何もありません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8月19日(金)〜22日(月)、北九州市、下関市、広島市、呉市を訪ねました。1.北九州平和資料館(8月19日):JR戸畑駅に初めて降りました。戸畑・若松間を渡船で渡り(片道100円)、火野葦平(本名 玉井勝則、2019年アフガニスタンで暗殺された中村哲の叔父上)資料館のある、かつて「ごんぞう」と呼ばれた沖仲士が闊歩していた街を10分ほど。こじんまりとしたビルの3Fに同館はありました。8月25日閉館と友人から聞いてあわてて飛んできました。渡船の上には若戸大橋が架かっています。そこかしこに「祝 若戸大橋 国重要文化財指定」の上り旗が。4大工業地帯=京浜、中京、阪神、そして北九州工業地帯の、小倉・門司・八幡・戸畑・若松の5市が合併して誕生した北九州市の象徴が若戸大橋でした。北九州市は1963年2月に5市対等合併で発足、4月に政令指定都市に、1979年に福岡市に抜かれるまで九州一の人口でした(現在は92万5千人余)。若戸大橋は1962年9月開通、2018年12月無料化、2022年2月重文指定。小学校の社会科教科書には、発展する北九州市の象徴でもある若戸大橋が文章とカラー写真で紹介されていました。重文指定はよかったと思いつつ、大橋60歳、こちらは65歳でお互いよくやってきたよなあと渡船から大橋に向かって声を掛けました。民立民営にして展示物を直接触ることのできる資料館――三八式騎兵銃の重みもよく分かりました。閉館でも別の場所で年内に再開と、事務局長・小野逸郎さんに聞いて安心しました。今年4月開館の市立平和のまちミュージアムは次回に。新幹線からJR鹿児島本線に乗り換えるデッキの立食いうどん屋のかしわうどん、美味でした。2.下関市(8月19日):40年余ぶりに会った友人の案内でJR下関駅から安倍晋三事務所(車窓)、日清戦争の講和会議の開かれた春帆楼脇の日清講和記念館、赤間神宮(祭神 安徳天皇)。関門海峡は1880年代日清間の対立が激化する中で日本隋一の要塞地帯に。火の山展望台――友人のパートナーが小学校の遠足で来たという山頂に近い遊具のそばには今も高射砲陣地跡が保存されています。2024年夏の戦争遺跡保存全国ネットワークの大会は北九州市で開かれます。3.旧広島陸軍被服支廠(8月20日):広電皆実町6丁目電停から徒歩10分ほど。南北に3棟約400メートル、東西に1棟約100メートルの建物が、原爆の爆風で凹んだ頑丈な鎧戸などとともに遺っています。南北の3棟の東側は県立広島工業高校(ヤクルト高津臣吾監督の母校)の策に阻まれて見学できず。それにしても、L字形の4棟に沿って往復して歩いてその大きさを実感できました。4.広島平和記念資料館・原爆供養塔・韓国人原爆犠牲者慰霊碑(8月20日):10年以上訪れていなかった資料館、リニューアル後の初めての入館です。泊まった宿が平和公園のすぐ東側で、原爆ドームは20日、21日と朝な夕なにお昼にも、散歩に、広島大会の開かれる市立青少年センターに行くために、通りました。◎第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会(8月20日〜22日)5.広島大会全体会(8月20日):被ばく者で元平和記念資料館館長 原田浩氏の講演、第1日目閉会挨拶は戦争遺跡保存全国ネットワーク共同代表 出原恵三氏。原田氏は1915年広島県物産陳列館として始まり1933年に広島県産業奨励館となって被ばくした建物が解体から保存へ、165万筆の署名を集めて1996年に世界遺産登録された原爆ドーム、その道のりを同伴者として過ごしてきた半生とともに振り返られました。出原氏は広島は戦争遺跡保存の原点だと述べ、「知っているものは語れ、知らないものは学べ」という早乙女勝元氏の言葉を引用して挨拶を締めくくりました。6.広島大会分科会・閉会集会(8月21日):第1分科会(保存運動の現状と課題)に参加しました。残す価値のある戦争遺跡はあるのかという会場からの問いに対して、意味があるから残すのだと、活発な意見交換が進みました。閉会集会では、中区中央公園で進められているサッカースタジアム建設予定地の発掘調査で発見された、旧陸軍中国軍管区輜重隊補充隊の被爆遺構が建設強行のためにほとんど破壊されたことを問い、今後の遺構調査、保存・活用を求める大会決議が採択されました。また、アピール「旧軍都・被爆都市を経て、践祚いう遺跡保存の原点となった広島から 戦争も核兵器も許さない世界の創造に向けた取り組みを深めよう」も決議されました。7.フィールドワーク「呉の軍都遺跡、地下壕巡りコース」(8月22日):4つのフィールドワークのうちで初めて訪ねる呉市の戦争遺跡です。JR新幹線口8:25―宇品・マツダ本社(旧陸軍運輸部船舶司令部練習部=黒い外壁の建物、1945年8月6日本館(今はない)前での朝礼中に丸山眞男は被ばくしました)―(広島呉道路)―呉市広 長浜旧広海軍工廠地下工場跡(黄幡山の頑丈な花崗岩をくりぬいて造られています。建設工事には朝鮮人労働者が徴用されました。航空機のエンジンなどを造っていました。)―(呉越峠)―長迫公園・旧呉海軍墓地(日本遺産)―和庄児童公園―歴史の見える丘(日本遺産)―アレイからすこじま公園(潜水艦桟橋)―JR呉駅―JR広島駅13:50@広海軍工廠:1921年呉海軍工廠支廠ができ、1923年広海軍工廠となり、さらに1941年に航空機部門が独立して第11海軍航空廠となりました。呉市には1903年に造船部門・造兵部門(武器製造)を統合した呉海軍工廠が設けられ、呉・広・第11軍の軍需工場群が3つありました。まさに呉市は海軍軍都・軍需産業都市の一つでした(他には横須賀、佐世保、舞鶴)。A呉海軍墓地:「旧」と書きましたが、現地の看板表記もリーフレットも呉海軍墓地で、2万9千平方メートルの土地を呉市が維持管理しています。満州事変、支那事変、大東亜戦争をはじめ日本海軍の戦った戦争の「武勲を称える」慰霊碑91基(2018年7月現在)の多くは戦後の1965年以降2002年までに建立されています。地元の長迫小学校の生徒が墓地の清掃を行っています(掲示板に写真が貼られています)。戦前も戦後も教育は「刷り込み」として使われています。B和庄児童公園:1945年7月1日〜2日の呉市街地空襲で800人もの人が一度に死んだ防空壕のあった場所で、1963年7月1日に地蔵尊、供養塔が建立されました。付近一帯には横穴式防空壕が多く掘られたが、その作業には多数の朝鮮人が従事させられました。防空壕入り口そばの家屋の空襲による火災の炎、熱、煙が豪内に吹き込んで充満し人々は命を落としました。C歴史の見える丘:呉海軍工廠造船部(現・ジャパンマリンユナイテッド呉事業所 JMU)ドック群を見下ろす国道487号線沿いの小公園。歩道橋からは、2017年4月に呉基地が拠点の第4護衛隊群に配備された満載排水量2万8千トン全長248m約470人乗り組みの護衛艦かがの点検作業中の様子が見えました。護衛艦といっても、加賀は同型のいずもと同様に哨戒ヘリコプター5機を同時発着させることが出来るヘリコプター空母です。いずもはすでに約234億円の予算(2020年・21年度)をかけて、戦闘機F35Bを艦載する航空母艦へと改修が進められています。2018年12月、安倍政権はトランプ米政権の要求にこたえて2兆4800億円の兵器の爆買いを決めましたが、その中には42機(1機約135億円)のF35Bが含まれています。戦艦大和を造った造船船渠(せんきょ)も見えます。ドックの北方には、旧呉鎮守府(現・海上自衛隊呉地方総監部)が見えます。公園内には「噫(ああ)戦艦大和之塔」「造船船渠記念碑」「(正岡)子規句碑」などがあります。Dアレイからすこじま公園:潜水艦桟橋(海上自衛隊Sバース、潜水艦母港)「アレイ」とは歩道のこと、「からすこじま」とは埋め立てられる前の島の名前だそうです。海上自衛隊の保有する潜水艦は20隻、うち12隻が呉、8隻が横須賀に配備されているそうですが、目の前に4隻停泊しています。昼過ぎの強い日差しの中、国道185号線を隔てた反対側には赤レンガ倉庫が3棟、「海自カレー」の上り旗が食事処にはためいています。国道から上り坂の道をしばらく行くとアレイからすこじま駐車場、途中には工廠神社の登り口が、さらに上には「海軍技手(ぎて)養成所跡」碑、高射砲砲台跡と戦争遺跡が続きます。〔日本遺産〕2016年4月、横須賀・呉・佐世保・舞鶴の旧軍港市は文化庁の「日本遺産」に認定されました(2020年6月現在、104か所が認定されている)。「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」で、曰く「数々の遺構の中には、現在もなお現役で稼働する施設もあり、往時の面影を残す街なみは今なお逞しい息吹を感じさせ、訪れる人々をストーリーの世界へと誘います」。どんなストーリーか、現場に立って分かりました。Eアニメーション映画『この世界の片隅に』:呉駅への帰途、バスは青山クラブ(旧呉海軍下士官兵集会所)へと差し掛かりました。戦後は英連邦軍(広島県のみ米軍ではなく英連邦軍が占領統治した)が1956年まで使い、2017年まで海上自衛隊が厚生施設などに使用していた建物の外壁には、映画『この世界の片隅に』主人公たちのアニメが描かれています。呉は1945年以前・以後も、ともに軍港です。切ないです。そしてフィールドワークをご案内いただいた西岡由紀夫氏作成のレジュメで、2011〜20年度呉市の中学校社会科歴史の教科書として育鵬社版歴史教科書が使われていたことを知りました。不覚にもこれまでそのことを知りませんでした(21年度からは東京書籍版)。2022年夏は、知らなかったことを知らされた夏となりました。【今日の情報】8月19日から新型コロナウイルス感染による死者は過去最多の343人を記録した昨日(8月23日)まで、友人から届く情報の多くは、自民党と統一教会をめぐる情報が大半でした。またアフガニスタンを逃れて日本に退避したアフガニスタン人800人余のうち98人が難民認定されました。昨年1年の難民認定数74人を上回る決定ですが、98人は日本大使館の元現地職員とその家族らで、結局700人以上の人は認められていません。さらに出入国管理庁の収容施設を出たり入ったりしている人々はどうなるのか。「流転を生きる いつか、妻に贈り物を?トルコ×日本 クルド人、在留特別許可求める闘い」『東京新聞』2022年8月23日号夕刊をご覧ください。ドキュメンタリー映画『牛久』もぜひ。この国が弱い立場の人に本当に冷たいことがよく分かります。1.安倍元首相の「国葬」中止を求めるネット署名(8月23日から、総がかり実行委)8月27日(土)総がかり実行委主催市民集会:17時から、新宿駅地上西口2.『ほたるぶくろ』2022年夏第18号(添付ファイル参照)3.杉田水脈『女性自身』2022年9月6日号4.自衛官合祀拒否訴訟『信濃毎日新聞』アーカイブ2019年7月31日号8月23日は午後に靖国神社フィールドワークのご案内、昨日、今日は大人しく在宅です。それでは。川口重雄拝-----Original Message-----Subject: change安倍元首相の「国葬」中止を求めます(「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)安倍元首相の「国葬」中止を求めます発信者:戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会 宛先:内閣総理大臣https://www.change.org/p/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%85%83%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AE-%E5%9B%BD%E8%91%AC-%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99?utm_source=share_petition&utm_medium=custom_url&recruited_by_id=80f253b0-7fae-11e5-a122-39fd1180318c7月22日の閣議で政府は、故安倍晋三氏の「国葬」を9月27日に行うことを決定しましたが、これには、多くの皆さんが疑問と反対の声をあげています。報道各社の世論調査でも、「国葬反対」(47.3%、時事通信社8月)、国葬を行うことを「評価しない」(50%、NHK8月)など、「反対」、「評価しない」が多数です。このような世論には理由があります。1)個人の葬儀を国が行う根拠法が存在しないこと、2)特定の個人の葬儀費用を税金で執行することが、法の下の平等、、思想や良心、信教、表現の自由、財政民主主義を定めた憲法に反すること、3)安倍氏の政治的な業績に対する評価は定まっておらず、むしろ「モリカケ・サクラ疑惑」など行政の私物化や、国会軽視、官僚統制のあり方などに厳しい批判があること、などの点が主なものです。「国葬」が日本国憲法の諸原則と相いれないという指摘も各方面から行われています。くわえて、連日報道される旧統一教会と政治との癒着の中心に安倍氏が存在していたことは、同氏の評価をさらに厳しいものにしています。7月12日に行われた安倍氏の家族葬にあたって、全国でいくつかの教育委員会が弔意を示す半旗の掲揚を学校に求めたと報じられています。この事態は国葬にあたり、行政や学校などをつうじて市民に弔意が強要され、基本的人権が侵害されるおそれをいだかせます。岸田首相は、記者会見などで「世界各国がさまざまな形で弔意を示し、我が国としても弔意を国全体として示すことが適切」などと述べていますが、葬儀の政治利用といえる理由を市民が受け入れていないことは、先の世論調査結果でも明らかです。むしろ、国会開催を求める野党の要求に背をむけ、説明責任を果たそうともしない姿勢は厳しく批判されるべきです。すでに多くの市民、団体が「国葬反対」、「国葬中止」の声をあげ、行動に立ちあがっています。私たちは、これらの市民の声と運動に連帯し、より多くの皆さまの声をみえる形にするために、このアピールへの賛同署名をよびかけます。9月27日の「国葬」中止の一点で、賛同いただける皆さまのご協力をお願いします。【呼びかけ】飯島滋明(名古屋学院大学教授)石村修(専修大学名誉教授)稲正樹(元・国際基督教大学教授)上野千鶴子(東京大学名誉教授)内田樹(神戸女学院大学名誉教授)落合恵子(作家)鎌田慧(ルポライター)清末愛砂(室蘭工業大学大学院教授)五野井郁夫(高千穂大学教授)斎藤美奈子(文芸評論家)佐高信(評論家)澤地久枝(作家)島薗進(東京大学名誉教授)清水雅彦(日本体育大学教授)田中優子(法政大学名誉教授・前総長)中島岳志(東京工業大学教授)永山茂樹(東海大学教授)※アイウエオ順
////////////////////////////////////////////////////////////////杉田水脈 政務官就任にLGBT当事者らが怒りの告発「岸田首相が言動にお墨付き与えた」(女性自身)220823https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Jisin_2128096/2022/08/23 07:35「(旧統一教会関連団体の)定義がわからない」15日、総務大臣政務官就任会見でこう発言したのは杉田水脈衆議院議員(55)。’19年に熊本県内で開催された統一教会関連団体主催のシンポジウムで講演したことを指摘されての回答だ。杉田氏は、’16年に自身のツイッターで《幸福の科学や統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない》と投稿したことについても問題視されているほか、これまで数々の発言で批判を浴びてきた。「杉田氏は女性やLGBTなどの性的マイノリティを侮辱する発言を繰り返してきました。これは憲法で定められた“法の下の平等”や“個人の尊厳”を著しく損ねるもので、議員としてはあるまじき行為。杉田氏を総務政務官に抜擢したことは、岸田文雄首相(65)が彼女の言動にお墨付きを与え『もっとやれ』とGOサインを出したということに等しいのです」そう警鐘を鳴らすのは、同志社大学教授で政治思想やフェミニズム理論が専門の岡野八代教授。岡野教授は、杉田氏が’18年に雑誌『新潮45』の8月号に寄稿した「LGBTは(子供を作らないから)生産性がない。そこに税金を投入するのが果たしていいのか」という趣旨の論文に憤り、自身もレズビアンであることを公表。反論してきた当事者だ。侮辱的な発言の矛先は、LGBTだけにとどまらない。彼女にとっては、女性も差別の対象だ。「’14年10月には国会で、『日本で女性が輝けなくなったのは、男女共同参画の名のもと伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因する』として、『男女平等は絶対に実現しえない反道徳の妄想です』と発言。また’20年には、女性への性暴力に関して自民党の部会で『女性はいくらでもウソをつける』と発言し問題になりました」(政治部記者)加えて、元TBS記者の山口敬之氏から性暴力を受けたとして訴えを起こしていたジャーナリストの伊藤詩織さんについても、英国のBBCの番組で「男性の前で記憶がなくなるまでお酒を飲んだのは、女として落ち度がある」などと述べ、「セカンドレイプだ」と批判されてきた。■国民の信任を得て当選した議員ではないいったいなぜ、杉田氏が総務政務官に抜擢されたのか。元参議院議員で、旧統一協会問題に詳しいジャーナリストの有田芳生さんは、こう分析する。「いわゆる”安倍枠”です。安倍さん亡き後、岸田首相としては安倍派との関係をどう保っていくかが課題でした。そこで、安倍さんの“推し”だった杉田氏を抜擢し、安倍派の協力や右派層の人気を得ようとしたのでしょう」前出の岡野教授は、杉田氏は国民から直接の信任を得て当選したわけではない、と指摘する。「杉田氏は’17年に自民党に入る前から、国連人権委員会の“女子差別撤廃委員会”に出席し、『日本軍による慰安婦の強制連行はなかった』などの発言をしていました。こうした発言が安倍元首相に気に入られ、杉田氏とは縁もゆかりもない安倍元首相のお膝元である比例中国ブロックで出馬。比例名簿の上位に据えられ、”特別枠”で当選を重ねてきたんです」政務官就任で政策は実行しやすく恩人である安倍元首相の期待に応えるべく、“先兵”となって活動してきた杉田氏。「先の参議院選で争点となった、選択的夫婦別姓制度の導入に関しても、足を引っ張ってきた議員の一人が杉田氏です」キャプチャ選択的夫婦別姓・全国陳情アクションこう明かすのは、選択的夫婦別姓・全国陳情アクション事務局の井田奈穂さんだ。キャプチャ井田奈穂氏「’20年12月に、この先5年間の女性政策をまとめた“第5次男女共同参画基本計画”が発表されましたが、当初盛り込まれていた”選択的夫婦別姓”の文言は削除されていました」さらに当初案にあった「(選択的夫婦別性への)必要な対応を進める」の文言は「夫婦の氏に関する(中略)さらなる検討を進める」に後退していたという。「発表後、杉田氏は自身のツイッターを更新。《最終的に男女共同参画基本計画案から「夫婦別姓」の文言も削除させました。一安心です》とフォロワーに対して誇らしげに報告していました」井田さん自身も、杉田氏の秘書から国政にかかわる人物とは思えない対応をされている。自民党議員を対象に、選択的夫婦別姓に関する勉強会を開いた際のこと。「杉田議員は勉強会に参加できず、『資料だけ欲しい』と言っていると主宰者に聞いたため、勉強会終了後、私が杉田議員事務所に持参したんです。すると秘書の方が、資料をさっと受け取ると『近寄らないで』と、手で追い払うようなしぐさをしてドアを閉めたのです。今後のために名刺交換する余地も与えてもらえませんでした」さらに、杉田氏を自民党に招いた安倍元首相の考え方は統一教会の思想にも近いという。「彼にとって女性活躍はあくまで経済政策で、ジェンダー平等には反対。基本的に女性が家事や介護を担い、三歩下がってわきまえるという戦前の家族観をよしとしているのです。これは統一協会や日本会議の思想ともシンクロしていると感じます」(井田さん)こうした思想を受け継ぐ杉田氏が、総務省の“ナンバー3”として権力を握ってしまったわけだが、今後どうなるのか。「政務三役に入ると、自分の政策を実現しやすくなるので国会議員にとっては非常に大きいことです。秘書官が2人付きますから官僚を動かす力も大きくなる。つまり、彼女がデタラメな指示を出しても、官僚は動かざるをえない。非常に危険です」(有田さん)杉田氏を要職に就けた岸田首相が目指す日本は“女性蔑視国家”なのだろうかーー。「女性自身」2022年9月6日号////////////////////////////////////////////////////////////////自衛官合祀拒否訴訟(上) 抗議今も「声に出さなあかん」 〈アーカイブ 芦部信喜・平和への憲法学〉第4部 国家と宗教H(信毎)220822https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS202206080043731回目の抗議集会で講師の話を聞く支援者たち=6月1日、山口市の山口県政資料館旧議場 6月1日、山口市の山口県政資料館。31年前のこの日、自衛官合祀(ごうし)拒否訴訟で原告の逆転敗訴とする最高裁大法廷判決があった。それに抗議する集会がことしも開かれ、支援者ら約50人が集まった。 天皇代替わりの後だっただけに、神道色のある皇位継承儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」への公費支出差し止め訴訟を起こしている大学教授、佐野通夫(65)が合祀訴訟と共通する憲法の政教分離原則などについて講演。集会の主催者は、施設に入所している合祀訴訟の原告、中谷(なかや)康子(85)が4月の面会時にこう話したと紹介した。 集まらなあかん。声に出さなあかん―。 自衛隊員だった中谷の夫、孝文は1968(昭和43)年1月、公務中の交通事故で亡くなった。キリスト教徒の康子は夫の遺骨を教会の納骨堂に納め、追悼していた。 その4年後、自衛隊山口地方連絡部(地連)は孝文を含む山口県出身の殉職自衛官27人を、国家のために殉難した人の霊を祭る県護国神社に合祀すると通知。康子は自らの信仰を示して拒否した。それにもかかわらず自衛隊のOB組織である社団法人隊友会山口県支部連合会(県隊友会)名の申請で合祀された。 その後、康子は再三合祀取り消しを求めたがかなわず、翌年、国に損害賠償などを求めて提訴した。隊友会が地連と共同して合祀を申請したのは、憲法が国とその機関の宗教的活動を禁じた政教分離原則に反し、自分の信教の自由や人格権が侵害された―との主張である。 訴えを起こす前後から、康子の元には「非国民」「国賊」などと、ののしる電話や脅迫状が続いた。 一審山口地裁は康子の主張をほぼ認める判決を言い渡した。合祀申請は隊友会と地連の共同行為で、宗教的活動に該当するとして憲法違反と指摘。さらに「自らの信仰に従い、静謐(せいひつ)な宗教的環境の下で亡夫を追慕する宗教上の人格権を侵害された」とする画期的な判断を示した。 控訴審に向けて、原告弁護団は主張を補強する必要があった。 問題の一つが、合祀の申請に自衛隊地連は補助的に労力を提供しただけで、手続きをしたのは民間団体の隊友会だから、政教分離違反にならないと国側が反論していた点である。 これを論破するため弁護団の今村嗣夫(87)が頼ったのは、米国判例をいち早く導入し、当時の憲法学界をリードしていた東京大教授、芦部信喜(のぶよし)だった。今村はその後、自らのライフワークとなる「少数者の人権」についての芦部の理論にも共感していた。 芦部を弁護団会議に招き、控訴審の争点を説明した。芦部は使える米国判例があると答え、鑑定意見書を広島高裁に出すことを承諾した。(敬称略) (編集委員・渡辺秀樹) (2019年7月31日朝刊掲載)
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(了)

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