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たかが一人、されど一人

人生の意味 

2022年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

自分では80年の歳月は長く感じ、その経験の中で日本の行く末を案じたりしているが、もっと深く考えれば僅か百年足らずの短い期間だ。歴史は繰り返すと言われるように、どこかで復元力が働き江戸中期のような平和が戻り、アメリカの51番目の州になることもなく、日本は無くならないなんて夢想したりもする。何れにせよ人生とは儚いものだ。たとえ百まで生きようと安倍晋三氏のように70歳に至らず他界しようと年齢的には大差は無い。まして死んでから盛大な葬儀が行われたり、勲章を貰っても本人は何も感じない。言わば無駄な行為だ。人間は生きている間にこそ意味があり、その間にどのくらいの満足感を得るかが大切であることに反対の人は少なくないだろう。名誉を大切に思う人は後世に名を残すこと重視するかも知れない。逆に子孫に美田を残すことを重視する人も少なくないだろう。西郷隆盛さんのように偉い人と比較するのは恐縮ではあるが、父が生前満足気に語っていたことがある。5人の兄弟それぞれに家を1軒ずつ残したことだ。昭和22年の春、母に言わせると乞食のような格好で南方(バリ島)から引き上げ、それこそ無一文から始めて92歳で他界した時に金銭は無きに等しかったが、5人に対しほぼ似たような家を1軒ずつ残した。その準備が整ったたのがいつであったか忘れたが、娘と長野にスキーに行き、帰りに立ち寄った実家で遺言状そのものだったか、下書きだったかも忘れたが見せてもらったことがある。箇条書きで10行に満たない簡潔なものだった。僅かな会話であったが、子と孫を前に自分の生涯後半全てを注ぎ込んだ成果を話せたことの満足感、この時ほど父の幸福そうな姿は他に見たことがない。それから数年後父は段々弱まり、最後即ち90歳に近づく頃はすっかりボケたようにも聞いた。それは当たり前だ。80歳を越した今、しっかりボケ始めているのだから。いつかは父と同じように娘や孫に自慢話をするのが夢だが、美田は残せそうにない。せめて父から手当してもらったこの家だけは人手に渡すこと無く旅立ちたいが、そううまくいくかどうか?今日は夕方3時半から4回目のワクチン接種。明日は玄関先の石塀が崩れかけて危険なので撤去して簡単なブロックと金属製柵だけに作り変える予定。1週間位は掛かりそうとのことだ。 

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