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松村高夫(慶應義塾大学名誉教授)『私の731部隊追跡記』(3) 

2022年06月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ABC企画委員会の「ABC企画NEWS」22年6月号が届きました。7頁の『私の731部隊追跡記』(3)の一部と、添付されたチラシ三枚も転載します。





『私の731部隊追跡記』(3)
731 部隊をめぐる第1回日中会議(1991年) に参加する? 1991年には731部隊をめぐる第1回日中会議が8月24日から9月2日までハルビンで開かれ、日本と中国からそれぞれ約50名が参加 した。会議の正式な名称は「73!部隊の跡をたずねる旅〜人骨問題を究明する会・第1回市民調査団」である。? その2年前の1989年7月22日、東京新宿戸山の陸軍軍医学校跡地の建設現場から、大腿骨を主とする35体の人骨が発見され.「人骨問題を究明する会」が結成され追究をはじめていた。91年の6月には731部隊犠注者の手がかりを求めて、渡辺登氏と見津毅氏2名の調査先遣隊を派遣し、1941年夏の「牡丹江事件」の犠牲者2名の犠牲者を探し当てるなど、予想を超える成果を得ていた。本調査を実施する市民調査団への参加の呼びけ文をみた私は、参加を申し込み、7月21日の結団式に参加した。団長越田稜氏(学習院高等学校校長、副団長城戸典子氏(児童文学作家)、秘書長渡辺登氏はであり、事前学習では宮崎章氏(筑波大付属駒場高校)の講義があった。その後私はこれらの方々から731部隊関連のたくさんのことを学ぶことになる。
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画像は1991年8月24日〜9月1日まで北京市「中国抗日戦争祈念館」と哈爾浜市平房731部隊跡を訪問した市民調査団です。(敬称略)後段左から三人目が秘書長渡辺登(人骨焼却差止住民訴訟原告団長)、五人目が団長越田稜(アジア民衆法廷準備会・学習院高校校長)、六人目が松村高夫(慶應義塾大学教授)、一番右端はTBSテレビ近藤昭二プロジューサー。下段一番右端は副団長城戸典子(児童文学作家)、下段左から二人目が川村一之(日本社会党新宿区議)三人目が管理人。七三一部隊犠牲者遺族から調査を求める人権救済の申立書を預かりました。「中国抗日戦争祈念館」で開催していた「731部隊展」を、東京で開催しないかと中国側から提案されました。その後、実行委員会が結成され1993年7月6日に新宿区内で「731部隊展」が開幕されました。その後は、全国で「731部隊展」が開催されました。

(了)

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