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仏教の日本伝来の意味(2) 

2022年02月21日 外部ブログ記事
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?仏教の日本伝来の意味(2)
?仏教伝来の当時、日本には体系的「神道」はなかった ☆仏教対古来の神道の対立という見方に傾斜しがちとなるが
 ☆仏教伝来という刺激が神道を形づくったといえる
 ☆仏教が、天皇主導になったのは
 *最初の官寺百済大寺を建立した舒明天皇の時 *「天皇が仏教を主導する」と宣言した孝徳天皇
 *薬師寺を建立した天武天皇
 ☆仏教伝来は先進文化の伝来でもあった *教義経典以外、寺院建築、薬剤、医療、絵画、音楽等の伝来であった
?
?神仏習合の起点としての聖徳太子
 ☆日本で仏教の受容に際立った役割を呆たした聖徳太子
 *聖徳太子は伝説と謎に包まれている
 ☆聖徳太子には二人の仏教の師がいた
 *高句麗からの慧慈、百済からの慧聡
 ☆太子の仏法の教義理解は深かった
 *仏教は、単なる「招福神」としてではなく
 *「三宝興隆」(仏法僧を崇敬する姿勢)を主導した
 ☆最澄、空海、親鸞、日蓮など、後の多くの仏教者
 *聖徳太子を「和国の救主」として尊崇する
 *聖徳太子が、天皇と仏教と衆生済度を結びつけた存在として
 *聖徳太子が「神仏習合」の結節点に立つから
?
?「神仏習合」の歴史 ☆仏教優位の神仏習合が長期間続いていた
 ☆輸廻の世界の「六道」(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天)
 *仏は、最上位の「天」の領域にあると位置付けられた
 *日本古来の「神」を「仏」の力で救い
 *「神」が仏教を支えるという構図で「神仏習合」が成立していた
 *我々は、神道優位の展開に視界を引き寄せられがちである
 *日本は7世紀以来仏教優位の「神仏習合」の歴史を積み上げてきた
 ☆江戸期、幕府の正学は儒教
 *徳川家は仏教を敬い、皇室を「法親王」という形で招き入れた
 *幕末まで皇室が支える形をとった
 ☆明治政府大政官布告で「祭政一致制度の回復」「神仏判然令」が出された
 *神道国家を志向する「廃仏毀釈」「敬神廃仏」の流れが打ち出された
 ☆明治国家体制は、敗戦によって否定された
 *天皇と仏教の関係にはほとんど変化がない
 ☆仏教伝来以来の1500年間の天皇と宗教の関係
 ☆天皇が神道とだけ結びついている時代は、戦後日本だけだ

                       (敬称略)                                     
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仏教の日本伝来の意味(2)
(ネットより画像引用)

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