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昭和2年生まれの航海日誌
サンマと老人
2011年09月28日
テーマ:テーマ無し
今がサンマの旬である。
だが、今年はそればかりを言うてはおられない。
サンマは物心が付き始めた頃から食べていた。地方では
「カド」,と呼んだ。好きになったのは青年期に入ってから
だと思う。
母は何故か白身の魚が好きで「カドはどうも」、と云う顔
を覗かせていた。
サンマが泳ぐのに出会とのは、8月、千島列島北方海域だった。
船を停め、上甲板の照明をつけると、サンマの大群がどっと
押し寄せてきた。
すくいたいが,タモアミがない。これほどいるのだから、トロ
箱でもいけると、とりかかっていたら゛鯱だ”と、誰かが大声で
叫んだ。
とっさに指差す方向を見ると、背びれを立てた黒いものが悠ゆう
と、泳ぎ去って行くところだった.体長は5メートルはあったで
ろう。
スーパーの魚売り場に立ち寄ると,銀鱗が輝くっばかりの新鮮
なサンマが並べられていた。
あのあたりで獲れたものだろう、1匹求めた。
もくもくと上がる煙、警報機が鳴りだ寸前だった。焼き上がる
まで、傍で大根おろしをかいていた。
思った通りの味がしてくれよ。箸で一口運んで、また一口。
まるで、味が伝わってこない。
はてなあ、どうしたことだろう。
それは、福島沖の汚染サンマに想いを致しているからである。
責めてみた、正直そうである。
これからは、こういうことが宿命としてのしかかってくる。
自粛操業海域、福島原発中心100キロ圏内。バカにしないで
もらいたい。
陸上と海上では物差しの使い方が違うのだ。魚は泳ぐ、海は絶
えず流れている。普通の船舶でも容易に航走できる範囲だ。
グリンピースのような徹底した調査を行えば、水産動植物の
汚染はわかる筈なのに、国や自冶体は積極に動かない。
k urashi@mainishi.co.jp
「大震災テ―マ」記載の希望を集めている。
早速、
農水省、気象庁、海保(水路)、海洋大学の調査、発表の事態を
申し入れた。特に回遊魚のサンマ、マグロ、カツオについて。
勇躍、北洋に着いた。錦をきて、南下しようとしたら、汚染
被害を被った。痩せて紀州沖に辿りつくより他がない。
なんだなあ、俺もサンマと同じように痩せこけて終焉の地に
向かわなければならない。
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