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爺の一人旅・世界の105ヶ国へ
<ワルシャワでジョギング〜〜
2011年09月25日
テーマ:テーマ無し
リトアニアのヴィリニュース(9:00)から、
ポーランドのワルシャワ(18:30)へ。
長いバスの旅であった。
遅いのでバスターミナルから、タクシーでユースに向う。
列車の駅に近いユースだったが、泊まれた。
夕飯も廉く、近所にはネットカフェもあり便利である。
翌朝ジョグを始めて直ぐ、傾斜地の公園らしきものを見つけ、
側にいた老人に“ここは公園か?”と聞くと、
“イェス、パーク。イツ ベスト フォ ジョグ!”
と英語で答える。
しかも爺の後を走って来て、彼も一緒に走ると言う。
ナント彼は後2ヶ月後には、76歳になると言う。
ハワイのホノルルの大映の映画館で61歳まで働いていて、
ポーランドがソ連から解放されたニュースを聞いて、
思わず帰国したそうである。
彼の奥さんは、ポーランドには来ず、
メキシコに帰ってしまったそうで、
日本人の友人は、沢山いると言う。
しかし若い人が多く、直ぐ日本に帰国してしまったと言った。
彼に案内され新しい橋(横浜のベイブリッジに似ていた)を
往復したり、
彼のマンション(日本の公団アパートに似ている)と
次々と案内してくれたが、
何しろ朝飯前なので1時間位で失礼する。
爺の手をしっかり握り、
“アイム マルク クルシテイ”と名乗った。
写真は、ワルシャワの中心部です。
昼にビールで中華を食べ、市内を散歩していると、
ある住宅街の中庭からクラッシクが聞こえて来た。
覗いて見ると、椅子に座った100人位の観客の前で、
弦楽四重奏が演じられている。
受付の人が、どうぞどうぞとジェシュチャで言ってくれたので、
爺も演奏が終わるまで、1時間ほど聞かせて頂いた。
演奏の終わる度に、拍手に応え演奏者が立ち上がって、
丁寧に礼をする。
本当に楽しい時を持てた。
中学時代に、音楽の時間に聞いたことのある、
クラッシクの有名な曲ばかりであった。
写真は、 無名戦死の墓。
2001年8月の思い出
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