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たかが一人、されど一人

伝説と事実 

2021年12月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 不思議に思っていることがある。国会で演説する議員も政府代表も全員がマスクをしたまま喋ることだ。歳をとって耳が遠くなっているので、たいへん聞き取りにくい。特に岸田首相は下を向いたまま原稿を読み上げるので、殆ど意味を汲み取れない。8日に行われた本会議の代表質問に対する答弁を詳しく知りたくて、衆議院事務局に電話で尋ねてみた。書き起こしが公開されるまでに最低でも2週間は必要と、平然と回答が来た。これがデジタル化を推進している日本国の実態だ。現役時代にある出版社の編集長から聞いて印象に残っている言葉ある。「映像のインパクトは強いが、文字に依るものに比べると記憶に残りにくい。」正にその通りで、記録は文章での重要さが痛感される。記録と記憶が対を成すものであることと関連して、最近非常に残念に思うことがまた一つ発生した。先の大戦に関することで、我が日本国はアメリカ人の多くが思うように、戦争の仕方が非常に卑怯であったと言うことが明らかになった。しかし今や伝説化しているアメリカへの国交断絶文書手交の遅れも、日本側には日曜午前中の奇襲が宣戦布告前に行わなければならない事情があったらしい。開戦から80年の現在、先の大戦を美化して靖国神社参拝を得意顔でする政治家も多い。戦火に倒れた兵士を悼む心はあって良いが、戦争そのものについてはもっと冷静に善悪を判断しなければならぬと思う。戦争の経過がきちんと文書化されて保存されていればそうはならない。しかし戦争について大きな責任を追うべき日本帝国の陸海軍は、1945年8月15日で最高責任者が自決したりして、系統だった資料は殆ど散逸させてしまった。だから終戦から76年も経って、未だにポツンポツンと、これが真相のような報道が行われている。本当に恥ずべき国で、どの面下げて偉そうに「敵基地攻撃能力の検討」だ。先の大戦でも1941年の年末から約半年は各地で善戦したとの伝説に染まったのも事実。我ながら恥ずかしい。こんな気持にならざるを得なかったのは次の記事を読んだからだ。「12月8日、日本軍はマレー半島東岸のタイのシンゴラにも上陸しています。しかし、その前年に日本はタイの中立尊重を保証した日タイ友好和親条約を締結しています。にもかかわらず、一方的に独立国のタイに奇襲上陸したのです。ソ連軍の旧満州への侵攻は日ソ中立条約違反だと言われますが、日本はそれと同じ事をタイに行っているのです」(地理学者で歴史研究家の高嶋伸欣氏のインタビュー12月8日朝日新聞インタビュー)から引用上記は元外務官僚天木直人氏のメルマガからの引用だが、天木氏も真珠湾攻撃より2時間ほど前に陸軍がマレー半島に上陸してたことはご存知だったようだが、タイ国侵略は今回はじめて知ったとのこと。奇襲による虐殺と現地での強奪、日本人が他国の人権侵害など言える立場ではないと思う。

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