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己斐古城・旭山神社 

2011年09月23日 外部ブログ記事
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旭山神社



本殿に息長帯比売命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)、宗像三女神が祀られています。



 浅野藩が「芸藩通志」作成に際し佐伯郡己斐村より提出させた「国郡志御用ニ付下調書出帳」
 の中に旭山氏神八幡社の縁起の記載があります。

 この地に神功皇后が立ち寄られた際、神功皇后へ当時の県主が鯉を奉り、
 喜ばれた皇后が「鯉」「鯉」といわれたことから「コイムラ」となったという説があり、
 
 また、己斐の地形が三方を山に囲まれた地形であることから谷間を昔は「峡」カヒ(イ)と言い この地の地形に合致することから初めは「峡」(カヒ(イ))と呼んだものが、
 次第に「コイ」に転訛したものであろうと推察される説もあります。

 
 天文二十四年(1555)厳島の戦いで毛利元就が厳島へ向かう前にここへ必勝祈願に訪れ 
 その際ちょうど朝日が昇ったため、元就は高揚し士気を高めたことから、
 この付近の山を旭山、社名を旭山八幡宮と名付けました。


 また、毛利輝元が広島城築城にあたり下見のため登った山といわれています。
 
 神社鳥居
 

 
 城へ行く道の分岐点にある階段途中の稲荷社
 被爆樹のクスノキ
 

 ここからさらに登ります。
 

 
 西広島駅方面。
 

 階段を上がりきった所 拝殿 左三つ巴
 

 拝殿
 現在の社殿は1937年(昭和12年)改修工事のときに整備されたものです。
 本殿、拝殿を新設し、旧拝殿は移設され絵馬堂となりました。

1945年(昭和20年)広島市への原子爆弾投下により被爆。爆心地から約2.80kmに位置した。爆風 により本殿を除く社殿屋根が吹き飛ばされ倒壊、。旭山で山火事が起こったが地元消防団の活躍 と黒い雨により消火されたため、神社は消失から免れた。1948年(昭和23年)に残った部材を用 い修復されました。

 
 
 

 絵馬堂
 毛利元就が必勝祈願したという当時の拝殿でした。
 原爆により絵馬堂は少し傾いき内部は荒廃しましたが1948年に修復されました。
 

 拝殿前から
 


 183段を下りる。
 


 階段から見た鳥居
 

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