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友人からの寄稿「ある女性皇族の結婚について」 

2021年10月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



友人のKさん(近代史研究者)からの寄稿を紹介します。
「宮内庁公式ホームページ」より

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ある女性皇族の結婚について
 宮内庁の発表によれば、女性皇族の一人が2021年10月26日に大学の同級生と結婚するという。この結婚をめぐって日本のマスメディアは大騒ぎである。その原因は、結婚相手の家族の「金銭トラブル」だそうだが、要するに、彼女の相手が皇族の配偶者として<ふさわしくない>ということらしい。
 しかし、<ふさわしくない>といえば、今から30年前、彼女の母親自身がまさにそうであったことを思い出すべきだろう。つまり、彼女の母親も今回の相手と同様、大学の同級生であり、そして、何よりも配偶者候補以外の人物だったのである。皇族の結婚相手があらかじめ用意された配偶者候補の中から選択されるのは、周知の事実である。たとえ、「テニスコートの恋」という形式を取ろうとも、それは周到におぜん立てされたお見合いにすぎない。現在の上皇と天皇の配偶者もこのようにして結婚に至ったことは、ご承知の通りである。
 しかし、彼女の父親と母親は違った。本物の恋だったのである。当時の皇室関係者がこの事実を知った時、驚天動地したにちがいない。結果的に彼らの「キャンパスの恋」が成就したのは、相手の家族に「金銭トラブル」のようなスキャンダルがなかったせいなのかもしれないし、当人たちが頑強に抵抗したせいなのかもしれない。また、当時、兄の皇太子も未婚の青年であり、世継ぎを残す可能性は十分あった。単なる傍系の親王にすぎなかった彼女の父親には、まだこのような逸脱も許される余地があったのかもしれない。しかし、いずれにせよ、彼らの結婚が現行の皇室制度始まって以来の異常事態であったことにはまちがいない。そして、このような両親の結婚の経緯をその子供たちは当然知っているだろう。今回の第一の要因はまずここにある。
 そして、さらに、次なる要因をあげるならば、この両親がその子供たちを学習院ではなく、他の学校に進学することを許可、もしくは推奨したことであろう。周知のように、皇族ならば学習院に進学することが慣例である。上皇も天皇も、そしてこの両親(母親は皇族ではないが、その父親が学習院大学の教員だった関係で中等科から大学まで学習院だった)も学習院出身者である。しかし、この両親は、今回のヒロインである彼らの娘が女子高等科から大学へ進学するにあたり、異例の判断を下した。すなわち、学習院大学ではなく、国際基督教大学に進学することを許したのである。しかも、その妹が一旦、進学した学習院大学を中退して、姉と同じ国際基督教大学に転学することすらも許した。そして、さらに驚くべきことには、その弟(現在の皇室典範のままであれば、数十年後に確実に天皇になる人物)を学習院幼稚園ではなく、お茶の水女子大学付属幼稚園に入園させたのである。そして、彼はそのまま同大学付属小中学校に進学し、今日に至っている。ちなみに、現行の皇室典範下で学習院初等科以外の小学校に入学した皇族は彼が初めてである。世間はこの事実にあまり反応しなかったようであるが、これも前代未聞の異常事態であった。皇室関係者と学習院関係者はさぞかし驚天動地したにちがいない。
 学習院とは、明治憲法下、貴族院、華族制度と並んで天皇制を支える重要な装置の一つであった。そして、日本国憲法下の現在もその機能に変わりはない。敗戦後、皇室制度や華族制度が変更されることを予見した当時の学習院長と宮内大臣がいち早く私立学校へと変更し、その存続を図った経緯を見ても、その政治的役割は明らかであろう。
 彼女の両親が自分たちの結婚に至る経緯の中で何を思い、何を考えるに至ったのかは知らない。しかし、学習院出身者で、学習院を知悉〈ちしつ〉する彼らが、その子女の育成にあたり、あえて学習院からの離脱を決断した裏には、彼らの切実な願いが込められているような気がする。そして、今回の長女の結婚は、(彼らが思い描いていたような形ではなかったかもしれないが)結果的には、まさに彼らの願いの結実だったのである。
 恋愛は自然で自由な営みである。そして、互いの相手がどのような人物であろうとも、それはあくまでも当人同士の問題であり、他人が容喙〈ようかい〉すべきでものではない。しかし、この日本では天皇制という奇怪な陋習〈ろうしゅう〉のおかげで、皇族と呼ばれる特定の一族は、その自然で自由な営みすら不当に妨害されている。
 数年前から皇位継承問題を機に、有識者たちは象徴天皇制のあり方、皇族の人権、皇室典範の改正について議論を開始せよと声をあげている。しかし、残念ながらそれは単なる声ばかりで、声をあげているご当人たちをはじめとして本気で議論しようとするものはだれ一人いない。しかも、圧倒的多数の国民は、依然としてその問題に目を向けるどころか、気づきもしない。かりに気づいたとしても、見ぬふりをしてやり過ごしているだけである。今から75年前の1946年、昭和天皇は自分が<人間>であることを宣言した。しかし、今日に至るまで、彼を含めて彼の一族が<人間>だったことは一度たりともない。そして、ようやく真の<人間>になろうとしたその曾孫の女性は、さんざん誹謗中傷されたあげく、今まさに<国外追放>されようとしている。
 今回の結婚相手が皇族の配偶者として<ふさわしくない>と大騒ぎしている人々よ。あなた方は、皇族と呼ばれている人たちに対して、どこまで人種的同胞感覚を持っているのか。そして、皇族という檻の中で窒息している彼らの<個>をどれだけ真剣に考えたことがあるか。皇族の皇族からの解放にどれだけ肉感的に同情と責任とを感じているのか。今、あなた方が問題にすべきなのは、その皇族の配偶者として<ふさわしくない>人物などではない。それはまさにあなた方自身なのである。
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(了)

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