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ニャンコ座リポート
母 65歳 (7/16)
2021年07月16日
テーマ:テーマ無し
新型コロナウィルスの猛威に対し、私の価値観でやれる努力をし、みんなが早く自由な日々に戻れるよう、願っています。Facebookで見かけました。「オリンピック中止まであと7日」あ〜、切ない。
歌っている、ガーデニングは楽しくやりがいも感じる、起きている間中何かをやっている・やりたくてたまらない、助けてくれる友人知人に恵まれている、息子はとりあえずうつではないし来る公演目指してがんばっている、これ以上の何が不満なの?
不満ではありません。不安なのです。人は助け合って生きているのは知っています。でも、身の丈を越えた生活:私の場合経済的にではなく、庭が広すぎるとか、運転あまりできないのに、行きたい所行かねばならない所が多すぎるとか、自分は一人しかいないのにやりたいことがあり過ぎるとかです。とにかくもう65歳で、普通ならば生き方をコンパクトにしていかなければならないのに、これでは増殖しているわけで、今でさえ飽和状態なのに、まずいんじゃないかと。
今は亡き母が、私の年齢の時は、どんなだったのだろうと思い、息子の大量のアルバムから、1931年生まれの母が65歳の時、1997年の春あたり(その年には66歳になる)を探し出しました。息子は中学2年、私は41歳ってことになります。JRシアターに「CATS」を観に行ったんですね。いっちゃんは本当に良くしてくれて、母をあちこちに連れて行ってくれました。まっ、息子のお守をしてくれたので助かるって側面は大いにありますが。
きっとその頃の母は幸せだったと思います。父とは42歳で死別して、必死で働いて、弟と私を大学にやって、ようやく訪れた穏やかな生活だった・・・と思うのだけれど。町営住宅で、子どもにピアノを教え、大正琴サークルに入って、裏に畑を作って、独り暮らしをしていました。母のことをおばあさんだとはあまり思いませんでしたが、さりとて今の自分とは全然違う、人生の晩年を過ごしている女性だと思っていたかもしれません。
母の心の中はいったいどんなだったのでしょう。体は頑丈ではないけれど、入院したことが無いと笑っていました。まじめで堅物で愛情深い母でした。こうしてみると、なかなかの美人です。娘の私や孫に愛を注ぐことが、母の1番だったのでしょうか。今となっては、わかりようもありません。 その後数年で、やや早めの認知症の症状が出てしまいました。私は母とはお一人様を除けば、ずいぶんと違う65歳を過ごしています。
やっぱり具合悪いのです。昨日さっちゃんに色々ほぐしてもらい、最近にない左脚になれたのですが、今朝起きたらいつもの辛い体でした。さっちゃんイチオシの「大麻クリーム」を買ってみました。CBDという成分が入っています。
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