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カシアス

21年前の人生の転機 

2021年07月09日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

21年目
2000年4月に新潟の子会社に転勤になった。
長男に続いて次男もその年に就職がきまり、
3月30日に我夫妻は新潟に、次男は神戸に出立し、
晴れて一家は離散(発展的解消?)となった。
横浜の家はそのままに、最小限の衣類、食器、日用品を
新潟市内の社宅に送った。
引越業者にとっては単身赴任パックだ。

社宅は、工場と道路を挟んだ厚生地区にあり
4階建て築40年、32戸(半分以上が空き)、
如何にも古めかしい3階の2DKだ。
戸を開けるとすぐに台所、その奥に4.5畳と6畳の和室がある。
結婚した時に入居した新婚社宅とほぼ同じ間取。

4.5畳の和室に小さな卓袱台(ちゃぶだい)を置き、
そこに座って食事をし、テレビを見て、本を読む。
奥の6畳に布団を引いて寝る。
二人で暮らすには過不足なく、これで充分。

南側の窓からは厚生地区の体育館と独身寮が
ヒマラヤ杉などの林の間に垣間見え、
その先は道路を挟んで事務所棟と工場、
更にその先は某製紙工場の20本程度の煙突が立ち、
向こう側は如何にも工業地区だ。
北側の窓のすぐ下の敷地内に200ヤードのゴルフ練習場があり、
外部に向けたサイドビジネスとのこと。
練習場の先は普通の住宅地、そのずっと先に
2000メートルを超える白い山並みが連なっている。

赴任した4月はまだ残雪が残り、
日本海からの風が強く、雷鳴がうるさい。
それでもこんなもんだと、慣れてしまえば特に問題ない。

新潟は酒、食、自然に恵まれ、生活の質は高い。
以降、新潟生活は8年半に及ぶ。
今思えば、公私にわたり人生の転機だった。



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