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平成の虚無僧一路の日記

尺八の流派 都山系 

2021年05月22日 外部ブログ記事
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宗悦流 : 近藤宗悦は、40歳ごろに出身地の長崎を出て京都明暗寺に入り、尾崎真龍に弟子入りして明暗真法流を学び、また三曲尺八の手付けを行って関西外曲の素地を作った。尺八を水平近くに構え、チャルメラのような大きな音と、転がす奏法が特徴で、チャルメラ宗悦と異名を取った。大正中頃まで関西尺八界に君臨したが、現在は廃絶。
都山流 : 初代中尾都山が19歳の明治29年に大阪で創始。中尾都山は、祖父の寺内大検校の合奏相手だった近藤宗悦の尺八を学んで独学で合奏技術を身につけ、また近藤宗悦の弟子の小森隆吉に明暗尺八を習って虚無僧修行も行った。
都山流は、近代的な記譜法と作曲理論、楽曲性を重視した自作本曲、独自の三曲尺八や新曲、教授法と組織化などに新機軸的を打ち出して、尺八界最大の全国的流派に成長させた。
しかし、初代の子の二代中尾都山(稀一)が37歳で早世の後、三代目襲名に際して内紛が生じ、(財)都山流尺八楽会、新都山流、(社)日本尺八連盟の3派に分裂した。(財)都山流尺八楽会 : 昭和40年に認可。初代中尾都山の後妻中尾レンが三代中尾都山を襲名。現宗家の四代目中尾都山は初代都山の前妻の孫。公刊楽譜を扱う。平成14年に山本邦山が人間国宝に認定。本曲は、流祖やその弟子たちが作曲した自流のものを対象とする。新都山流 : 昭和50年に、初代中尾都山の一番弟子を自認する竹琳軒大師範島原帆山が、早世した二代中尾都山の遺児中尾美都子(当時まだ中学生)を補佐し、自らが会長となって都山流尺八協会を設立。しかし中尾レン側からの登録商標、著作権などにからむ訴えがあって、昭和54年に都山流日本尺八連盟、昭和55年に新都山流日本尺八連盟と名称変更。さらに昭和56年に島原帆山が退会して別会派を立て、中尾都山(美都子)が宗家となって新都山流と改めた。現宗家の中尾美都子も本曲を作曲している。(社)日本尺八連盟 : 昭和56年島原帆山が会長となって設立。島原帆山は昭和57年に人間国宝に認定され、平成13年に逝去。
晃山流 : 平塚晃山が都山流から独立して創始。洋山流 : 勝田洋山が都山流から独立して創始。上田流 : 初代中尾都山の弟子の上田佳山は、14歳で入門して20歳ごろの明治45年には流内の最高職格まで登りつめた。しかし、自作の新曲を公演したことで批判を浴び、大正6年に破門、独立して上田芳憧と号した。大正10年に上田流と命名。現宗家は芳憧の長男の上田佳道。記譜法や奏法は都山流を継承し、芳憧作曲の新本曲の他、明暗系の古典本曲も演奏対象とする。

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