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たかが一人、されど一人

西方十万億土 

2021年01月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 生まれたのが昭和15年4月だから、記憶の中に占める昭和時代がなんと言っても大きく、中が充実しているとも言える。平成時代の後半からサンデー毎日になってしまったことから、平成は半ば夢うつつで終わり、まして現在の令和となると、もう完全に世の中から浮いてただ漂っているだけのような気分とも言える。今朝の報道で作家の半藤一利氏が亡くなったことを知った。年齢90歳で、自宅で倒れていたところを発見されたとのこと。死因は明らかにされていないので脳卒中か心筋梗塞か知らぬが、ある意味良い旅立ちだったとも言えるだろう。個人的付き合いは何もないがご冥福を祈りたい。まだ子供の頃から10歳年上の人といえばお兄さんとい言うよりオジサンという感じだったが、不思議とこの昭和5年生まれの人と縁が深くて可愛がってもらった人が多い。一番縁が深かった人は名前からして昭五郎さんで、正に昭和5年生まれだった方。志賀高原の山小屋の主で、中学時代から大学卒業するまで世話になった。山歩きやスキーが好きになったのもこの方のお陰と言える。この方も数年前に亡くなった。サラリーマンになるとマスコミとの付き合いが増えた。中でも出版社では、親会社の家の光協会を除けば文藝春秋社が最も濃厚な付き合いだった。当時の文藝春秋社は、紀尾井町に新社屋を建てて多分銀座からだったと思うが、移転してきたばかり。小生の就職した会社がすぐ近くの赤坂にあったので、行き来がしやすかったこともある。丁度半藤氏と同期の広告部長や年齢的には少し下の部員と非常に仲良くなった。広告部長は既に亡くなったが、部員の方とは今でも付き合いが続いている。その他にも消息は途絶えてしまったが、当時の広告業界には昭和5年生れの方が多かった。今になってみると、10歳の年齢差は大したことがないように思うが、当時の10歳差は部長或いは編集長とペーペーの平社員員だから月とスッポン。しかしよく飲みに連れて行ってもらったものだ。それは兎も角として、年とともにマスコミ人も代わっただろうが、出版社で言えば出版物も大分様変わりした。特に強く感じるのが雑誌、月刊誌で未だに命脈を保っているのは月刊文藝春秋だけかもしれない。月刊現代とか新潮45など愛読していたが、とっくに廃刊になっている。毎月10日が月刊文藝春秋の発売日なので、この3連休に書店で2回立ち読みした。ところがどうも買う気が起きない。こんな事は初めてだ。ボケ始めて、世間の感覚についていけなくなっている証拠かもしれない。冒頭に己を波間に漂っていると書いたが、掴まるものも無い現在だ。ただ、昔のことだけが懐かしくなってくる。記憶の中で先輩に思いを致し、茫茫たる彼方にあなたは行かれた、しかし俺は未だこの世で生きている。なんていきがってみても、結局は先輩達を追いかけて距離もかなり接近しているに違いない。

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