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僕何も知りませんでした ごめんなさい (10/15) 

2020年10月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日は「エール」3回見ました。今週が1番辛いと予想はしていましたが、モデルがいるフィクションと割り切り、息子が作品にしたインパール作戦のことを知らなくてはと、しっかり見ることにしました。実際の古関裕而は最前線に行ったわけではなく、ラングーンで待機していただけだったそうです。 そもそもほとんどが女性が主人公の朝ドラで、戦地そのものが描かれることはまれだったそう。私はと言えば、父はド近眼が幸いして戦地に行くことはなく、母も空襲を受けておらず、身近に直接戦争体験を語ってくれる人がいなかった・・・わけではないけれど、今更もっと聞いておくべきだったと悔いている有様です。
 体験した方ならばきっと、こんな甘いものではなかったと思うでしょうが、裕一がパニックになって「僕何も知りませんでした ごめんなさい」を繰り返す様は、そうだったかもしれないと思いました。
 いっちゃんのお父さんが、南方へ行っていた(電気工事技師として)ことを思い出しました。98歳の義父は今、施設に入っていて、会うこともままならないですが、本を残してくれています。慰霊の旅に参加したのをきっかけに、書き残してくれました。当時(昭和63年)は子育て真っ最中だったこともあり、真剣に読んでいませんでした。時は今、遅くなりましたが、ちゃんと読みます、お父さん。
 お父さんは、昭和22年秋、佐世保港に入港しました。捕虜になって、ウッドランド収容所にいました。上陸した時「国破れて山河在り」と感じました。お父さんがいつ召集されたか、分厚い本をめくり、かろうじて見つけました。昭和17年11月、赤紙が届いたとあります。その後3ヶ月間航空電気工手として特業教育を受け、長男や一人っ子内地勤務できたのに(お父さんは一人っ子)外地行きを希望しました。翌18年広島から出航、5月31日にシンガポールに入港し、マレー半島を北上しました。ペナン島に滞在した時、軍属が「貴様たちは・・・。何故、負ける戦争にわざわざ来たの・・・。ご苦労さん」と言って、部隊長に殴りつけられたそうです。
 お父さんの本を手にして、私は何も知りません ごめんなさいの心境です。少しずつ読んで、紹介したいと思います。
 最後に「エール」の枝葉のことで、書いておきたいことが。森山直太朗が「あ〜あ〜あの顔で〜あの声で〜」と高音で歌い始め、大丈夫?と思ったら、案の定他の人は1オクターブ下で歌いました。パイプオルガンと合唱ののレクイエムが、映像に合っていました。
 【ネリの短歌で遊ぼうコーナー】
    いつかしら恋のはじまりありがちで ただ会いたいよただ触れたいよ
    30度越えし畑で草引きを 汗だくになり這いつくばりて

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