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平成の虚無僧一路の日記

田宮虎彦 『足摺岬』 

2020年09月12日 外部ブログ記事
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「田宮虎彦」と「寺田寅彦」どうやら勘違いしていた私。
田宮 虎彦は 1911年〜1988年 昭和初期の小説家。
寺田寅彦は 1878年〜1935年 物理学者で随筆家 
二人とも高知県に関係ある。二人とも東京生まれだが 父親が高知県出身。
短編『足摺岬』は 田宮虎彦でした。書かれたのは戦後まもない昭和24年。
自殺願望の東大生が足摺岬に向かう。
「その時、私は自殺しようとしていた…何となく死にたかった…身体も弱かったし、
金もなかった。大学を出たところで むなしい人生しか残されていないことが、
既にのぞき見ていた世の中から私には はっきりわかっているように思えていた」。
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(敗戦の虚脱感からか? 私には 戦後の復興の槌音が響き、明るい未来が予言されて
いた時代と思われるが)。?
さて、死に場所を求めて、足摺岬までやって来た青年は、結局死ねず、宿に戻る。
そこで、持病が再発して寝込み、宿で出会った人々の看病を受けることに。
遍路の老人は、「生きることは辛いものじゃが、生きておる方が なんぼ よいことか」と
諭す。宿の人たちは 青年が自殺志望であることを 見抜いていた。
宿の娘の八重さんも。くったくのない明るい性格の八重さんに 青年は心癒され
自殺をやめ、東京に帰る。
?
?

?三年後、八重さんは 男と結婚し、東京で暮らすようになる。八重の結婚は、
幸せではなかった。路地奥の家に住んで、貧困の中、夫からうつされた胸の病で死ぬ。
「つややかな若さにみなぎりあふれていた陽灼けした肌」の、あの八重が
死ぬのである。青年に自殺を思いとどまらせたあの八重さんには、仕合せになる
権利があるのではなかったのか・・・・」。それがこの小説のエンディング。
?
昭和29年、『足摺岬』が映画化される。こちらは 新藤兼人によって脚色され
かなり内容が異なる。青年も八重さんも東京で知り合う。八重さんは、弟が
泥棒の嫌疑をかけられて、警察で拷問を受け自殺するという悲劇に見舞われ、
故郷の足摺岬に帰っていく。青年も人生に絶望し、八重さんを追って足摺岬に
向かう。という筋立て。
たぶん、この映画によってであろう。足摺岬は しばらくは自殺の名所として
有名になり、自殺者が後を断たなかったそうな。
田宮虎彦が『足摺岬』で書いたことは 自殺を思いとどまる話だったのにである。
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ついでに、田宮虎彦は 足摺岬には 行ったことがなかったとか。小説では 暗く
重苦しい、恐怖の断崖絶壁だが、実際の 足摺岬は 南国の日差しと潮風に乗って
実に明るい岬だった。
?
その田宮虎彦氏だが、?1998年、脳梗塞で倒れ、右半身不随になり、マンション11階から
投身自殺する。享年77歳

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