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終戦の日-7(戦況?・昭和19年) 

2011年08月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨日は終戦の日であったが、残りの太平洋戦争史を完結させる。
    ♪空に飛び行く 翼に祈り  沖をすぎ行く 煙に誓う 国を挙げての この戦に  湧いて来る来る 撃ちてし止まん 我等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで〜 
            (勝利の日まで)


この歌にある“撃ちてし止まん”は、神武天皇が八十建(やそたける)を誅滅した時に久米部の武人に歌わせた一節にある。昨年2月のガタルカナル撤退以降は、ラジオで”必勝の歌”が多く流れるようになる。歌の各節の末尾は、どれもが「撃たでやまじの血がをどる」で結ばれる歌である。即ち、「我々は、この天皇の大御歌にならい、米英を“うちてし止まむ”と叫ばねばならない」と説き、標題の歌をもって必勝の想いを鼓舞する狙いではあったが、はたして戦況は・・・

【戦 況】
  2/01「アメリカ軍、クェゼリン・ルオット両島(マーシャル群島)に上陸」2/6・日本軍玉砕  /17「アメリカ機動部隊、トラック島大空襲」  /29「アメリカ軍、ロスネグルス島に上陸、ラバウル孤立」
  3/08「インパール作戦開始」  /31「アメリカ機動部隊、パラオに来襲

 6/15「アメリカ軍、サイパン島に上陸」  /19「マリアナ沖海戦」(米軍は対空射撃やレーダーによって日本軍を圧倒)    「アメリカ軍マリアナ諸島に上陸」以降、B29の本土空襲の出撃基地となる
 7/04「大本営、インパール作戦を中止」  /07「サイパン島陥落」(死者:軍=3万・住民=1万)     島の北端へ後退していた日本守備隊は、最後の万歳突撃をして玉砕      (共に後退していた非戦闘員達の多くは兵士と共に死を選んだ)  /21「アメリカ軍、グァムの上陸」8/10・日本軍玉砕  /24「アメリカ軍、テニアン島に上陸」8/3・日本軍玉砕
 
 9/10「拉孟(雲南)日本軍守備隊・玉砕」/15「アメリカ軍、ペリリュー島に上陸」 
10/10「アメリカ機動部隊・沖縄空襲」    /20「アメリカ軍、レイテ島に上陸」 /24「レイテ島沖海戦」
      フィリピンのレイテ島沖で、日本の連合艦隊と米太平洋艦隊が戦闘開始。 /25「神風特別攻撃隊、アメリカ艦に突入」
       神風特別攻撃隊の敷島隊が、レイテ沖海戦に出撃。
      米空母に体当たりし、一隻撃沈、一隻大破させる。
      以降、終戦までに290回出撃し、2,500人以上の犠牲者を出す。
11/01「マリアナ基地のB29、東京初偵察」 
/01「マリアナ基地のB29、東京初偵察」 /24「B29七十機、東京初空襲」
 12/09「大本営、レイテ地上決戦の方針を放棄」 
 
【関 連】・・・「戦時下の国内の様子」

 
  5/07 那須戦時疎開学園開園  7/18 東条内閣総辞職 → 7/22 小磯・米内内閣成立 8/04 東京の国民学校児童、集団疎開開始   22 沖縄からの疎開船・対馬丸撃沈される。
 3/01   決戦非常要綱により、歌舞伎座など閉鎖   04   宝塚歌劇、この日限り休場    05  警視庁、高級料理店・バー・待合などを閉鎖   06   全国の夕刊廃止 4/01 国鉄、一等車・寝台車・食堂車全廃(旅行には統制官の承認が必要となる)   07  大都市の国民学校で給食開始
 
昭和19年はこうして戦っている。
 
つづく

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