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1945年8月20日。。9人の乙女たち。。 

2020年08月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


こんばんは^^今日は。。俺の。。感じたものを。。9人の乙女たち。。何を言ってるかわからないと思います。日本が降伏した戦争。その後の8月20日、ソ連が当時の樺太南部(今のサハリン南部)に侵攻、侵略を始めました。当時郵便局が電話の交換局となっており、ソ連の侵攻により11名の女性局員が本土に対して、言葉を残し青酸カリを飲んで自決した。というものです。9名が即死。。みな、足を自ら縛って、乱れないようにしたそうです。沖縄のひめゆりは有名ですが北海道でも、このようなことがあったんです。それも、戦争が終わった後に。。俺は転勤で、今留萌に住んでます。実家も近隣であることから、子供の時、留萌に買い物しに来るとき、国道沿いの海から出ていた船の残骸について、父親から戦争終わって、引き上げ船がソ連の潜水艦にやられたんだ。と聞かされました。これも、戦争が終わった直後の8月22日の話でした。留萌沖で3隻引き上げ船が沈められました。千望台という街並みが見れる丘にこのような仏像が建っています。3隻の被害者を見守るためのようです。今は草木に囲まれ、地元の方も知らない人もいます。初めて行ったとき見つけ、市に聞いてわかりました。今は、違う場所に慰霊碑が建っています。戦争が終わったのに、卑劣な手段をしてきたソ連。。先日の新聞の記事でソ連は、樺太侵略後、北海道の半分も侵略しようとしていたらしいです。それに待ったをかけたのがアメリカで、それを阻止したのが今でゆう北海道の自衛隊のトップ。戦後、北海道で、侵略阻止のため、ソ連と戦闘した北海道等の部隊がいるんです。このトップの方の、戦え。という言葉がなければ、北海道の半分はソ連領になっていたでしょう。。。

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