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平成の虚無僧一路の日記

父の日章旗に柴五郎大将が揮毫 

2020年08月15日 外部ブログ記事
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父の日章旗に揮毫されていた「柴五郎陸軍大将」とは。岩波新書『ある明治人の記録』で知る人ぞ知る、会津人で、初めて陸軍大将にまで出世した人だ。柴五郎は 1860年の生まれ。明治元年の戊辰戦争当時は8歳だった。
戊辰戦後、下北半島で悲惨な生活を経験するが、明治6年、陸軍幼年学校に、明治10年、陸軍士官学校に進み、明治12年、陸軍砲兵少尉に任官される。同期には『坂の上の雲』の秋山好古がいた。明治32年清国に派遣され、そこで『義和団』事件が起きる。私が子供の頃『北京の55日』という映画があった。チャールトン.ヘストン主演の “総天然色”の映像を記憶している。この映画はアメリカとイギリスが大活躍して義和団を撃退したことになっていた。その時は気がつかなかったが、伊丹十三が扮する日本の軍人が「柴五郎」だった。映画では、二言しかセリフが無いが、実際は、柴五郎指揮下の日本軍の活躍で、義和団を撃退したのだ。この義和団事件の働きで、柴は海外各国から賞賛と勲章を贈られる。その後日露戦争にも従軍するが、軍人としての出世は遅く、1919年(大正8年)になってようやく陸軍大将に進級し、1923年(大正12年)には「予備役」となる。私の父が出征した昭和16年当時は、もう退役軍人だった。そして、1945年(昭和20年)の敗戦後、9月15日に自決を図る。即死せず、その傷がもとで12月に亡くなった。85歳だった。退役軍人だった柴五郎は、出征して行く会津の若者全員に、「祈 武運長久 陸軍大将 柴五郎」と揮毫した日章旗を贈っていたのだろうか。
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