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死といかに向き合うか2 

2020年06月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



死といかに向き合うか2

人間は遺伝子を残すための乗り物にすぎない
 ☆生物学者のリチャード・ドーキンスの発言
 *生物は遺伝子を残すための乗り物にすぎない
 ☆人は、自分の人生は自分自身で選び取ってきたという自負がある
 *ドーキンスの言うように、生命の主役が遺伝子の場合
 *人は、年を取る人の存在意義はあやうくなる
 ☆自分の死後も、DNAは受け継がれる
 *永遠の生命に自分が連なっていると感じて安堵する
 *こうした考え方は、死の恐怖を克服するための王道
 *自分の命は限られていても、限られていないと理解する
 *不安をなくすことができる
孔子と老子の教えは両輪
 ☆荘子に並ぶ思想家としての老子
 *二人の教えは「老荘思想」で、道家の思想の根本を成す
 ☆道家とは、万物生成の原理としての「道」を求める
 *無為自然による生き方を説いた学派
 *道家の教え、不老不死の神仙思想が結びつき「道教」が生まれる
 ☆老子が書いた一節
 「死してしかも亡びざる者いのちながし」
 *死んでも、道と一体となって滅びることのないことが長寿
 *真理をわきまえれば、死んでも死んだことにはならない
 ☆老子の死生観「生に出でて死に入る」も有名な言葉
 *命を守ることに執着しない人のほうが
 *かえって危険に遭うことは少ない
 *死地へ行っても助かりやすい
 *死にたくない、死にたくないと身構えているよりも
 *無為自然でいたほうがいい
 ☆老子の言葉「上善は水の如し」(最高の善は水のあり方)
 *高齢になると全身がこわばってくるもの
 *それを避けたいという養生の話にもつながる
 *身も心も、水のごとくあるのがいいという発想
 ☆孔子が徳を積むことが大切だと言っている
 ☆老子は、現世における栄達などは意識しない
 *やわらかく生きていくことを勧める
 ☆孔子と老子の教えは「道教」の両輪
 ☆相反する考えだが、双方の教えが尊いのは確だ
「死は身近なものではない」という錯覚
 ☆ドイツの哲学者ハイデガーの主著が『存在と時間』
 *ハイデガーは、人間と時間性との関係に行き着いた
 ☆人間は、死を意識しながら自らの存在意義を考える
 *人間は、いつか死ぬという覚悟をもつて生きていくのが本来
 *しかし、死を覆い隠すように避している
 *多くの人は、日常的に死を忘れようと努める
 *非本来的な行為に傾いている
 ☆人間は、死から目を逸らさず先駆けて覚悟しておくと
 *錯覚をもたず、不安にとらわれながらも
 *死と関わる自由の中で自分と向き合える
 *自分の死へとかかわることで、人は実存的かつ本来的になる
             (敬称略)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『極上の死生観』






死といかに向き合うか2
(ネットより画像引用)

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