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『1945ヒロシマ連続講座2016』の竹内良男さんからのメールを転載 

2020年05月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『1945ヒロシマ連続講座2016』の竹内良男さんからのメールを転載します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【ひと言】
@昨日お送りした通信の[添え書き]の中に、ドイツの大統領の演説のアドレスをお知らせしましたが、何人もの方から、それを読んでの感想が届きました。いつかまとめて紹介出来たら、と思います。
A「最近は受け取るメールの量が増えて・・・」と書いてきた方がいました。たしかに「人が集まる」というごく普通のことが出来なくなっている中で、この「通信」もそうした大量のメールに混じって飛んでいくと考えると、何とも申し訳ありません。この通信を「メールマガジン」だと思ってください。新聞でも雑誌でも全部読むなんて人はいません。なのでどうぞ無理をせずに気楽におつきあいください。
B[訂正!]昨日の通信の中でPTSD兵士・家族交流館の所在地を間違えていました。ご指摘、ありがとうございました。「校正おそるべし」という言い方がありますね。何回も見直しているのですが、こうしたミスは恥ずかしいです。
(誤)武蔵村山市3-15-4 → (正)武蔵村山市中藤3-15-4
C届いた返信にすぐに返事が出来ないことが多いこと、どうぞご勘弁を。
【メンバーの方から】
★[17日の添え書き]にあった「感想」を寄せた方へ向けての、別の方からのメール。
――――「感想を寄せた方は数十年経ってもセクト主義にこだわっておられます。私は、1967年10月8日、羽田の弁天橋の上で、佐藤首相がベトナムに出発するのを阻止しようとして機動隊とぶつかり、学生が死亡したニュースは、大学1年の時立川市で知りました。その当時、学生が装甲車を奪って、その装甲車の下敷きになって亡くなったと、この歳になるまでぼんやりと信じていました。しかし、この「山ア博昭プロジェクト」が合同出版より発行している、追悼50周年の「寄稿篇」と「記録資料篇」の2冊を読んで、山アさんの死亡の原因は轢死ではなく、警察側の警棒によって頭を激しく殴られた脳挫滅であることを知りました。すなわち、その当時誤った警察発表を検証することなく、マスコミ各社は冤罪に加担したのです。今では多くの人がこの事件をぼんやりと知っているか、記憶にないか、知らない人が多いと思います。いまだに真実は晴れることなく、捻じ曲げられたままなのです。こんな理不尽なことはありません。無念さと憤りを覚えます。」
★充実した通信有難うございます。(昨日の通信にあった)黒井さん、こんな方がいられるのですね。きっとお父さまも真面目でまっすぐな方だったのでしょう。そんな庶民をいっぺんの紙切れで鬼に仕立てた国家。いつか(交流館に)伺ってみたいです。
■毎号拝読していますが、とくに256号、257号、263号(いずれも「たより」抄録)に感動いたしました。世の中には賢くてまっとうな方がおられるんですね。大いに力づけられました。

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