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「日本書紀」後の天皇(第75代〜第78代) 

2020年05月10日 外部ブログ記事
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「日本書紀」後の天皇(第75代〜第78代)

第75代崇徳天皇
 ☆『久安百首』を作成し、歌人としての才能に長けていた
 ☆政治家としての才は乏しかった
 ☆父の鳥羽法皇が亡くなる
 *左大臣と手を組み、後白河天皇を倒そうとした
 *天皇方の夜襲攻撃に遭って敗れた
 ☆崇徳上皇は讃岐国に流された
 ☆後白河上皇は、崇徳天皇の写本受け取りを拒否した
 *怒り狂った崇徳院、舌を噛み切り、夜叉のような姿になった
 *崇徳院の怨霊伝説が語られるようになる
 ☆明治時代、崇徳の御霊を京都に帰還、白峯神宮が創建された
第76代近衛天皇
 ☆兄、崇徳天皇の譲位を受けて即位した
 ☆政治の実権は、院政を敷く父鳥羽法皇が握っていた
 ☆生来病弱で17歳で崩御した
第77後白河天皇
 ☆鳥羽上皇の第4皇子として生まれた
 ☆近衛天皇が亡くなると、29歳で即位
 ☆保元の乱(兄の崇徳上皇がクーデターを企てた)
 *平清盛や源義朝等の武士を起用し撃破した
 ☆後白河天皇は子の二条天皇に譲位して上皇となる
 ☆二条が若くして亡くなると院政を開始する
 ☆平清盛と協調体制をとっていたが対立する
 *クーデターで鳥羽殿に幽閉された
 ☆清盛の没後は院政を再開しする
第78代二条天皇
 ☆後白河上皇の第1皇子で、父から皇位を譲られて即位
 ☆平治の乱
 *源義朝により幽閉された
 *平清盛の協力が戦局の逆転につながった
 ☆清盛らの協力を得て、親政を開始しようとした
 ☆23歳の若さで亡くなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書記』と天皇126代』




「日本書紀」後の天皇(第75代〜第78代)
(『『日本書記』と天皇126代』記事より画像引用)

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