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平成の虚無僧一路の日記

小椋佳の次男「神田宏司」は琵琶製作師 

2020年03月14日 外部ブログ記事
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最近、若手の琵琶奏者が増えてきています。しかし「琵琶の製作師」が二人しかいないとか。
以前は「石田琵琶店」のみだったのですが、そこで修行され、独立したのが、なんと「小椋佳」師の次男「神田宏司」さん。「小椋佳」の息子が「神田」?。姓が違うやんけ。そうでした。「小椋佳」の本名は「神田紘爾」。そして次男は「神田宏司」。あれ、親子とも字は違うが「こうじ」で 読みは同じ。次男の「宏司」さんは、中学生の時に「若年性脳梗塞」で倒れ、全身不随になり、リハビリで少しは体が動くようになりましたが、学校も辞めて、悶々とした青春時代を過ごします。父の「小椋佳」が50歳の時、「一緒に琵琶を習わないか」と勧められ、「山下晴風」師に入門。そして琵琶の製作にも興味を示し、「石田琵琶店」で9年間修行を積んだとか。父が息子に語った言葉。「生きている上で必要なことが二つある。  生活の糧を自分で得ること。  誇りに思える仕事を見つけること」。さて、これは偶然でしょうか、ネットで調べていたら、元禄年間(1690頃)に“神田吉松”という琵琶製作師がいました。小椋佳(本姓は神田)の先祖につながるのでは・・・・・小椋佳の父親も琵琶の師範で、小椋佳は子供の頃から父親の琵琶を聴いて育ったと。ついでに、紀州徳川家伝来の楽琵琶【千歳丸】は「山室小左衛門永斎」作。慶長の頃伊勢の住人とありました。私の母方の姓が「山室」で、祖父の名は重信。私がネットオークションで手にいれた琵琶の銘は「重信」でした。そして重信の子(私の母の兄=私の叔父)「山室重遠・信朗」兄弟から私は尺八を習いました。なにか“気脈”を感じます。

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