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日本書紀研究1(蘇我一族) 

2020年03月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



蘇我氏は悪者でなかった

 ☆教科書でも「横暴の限りを尽くした」とされた一族

『日本書紀』の編集者
 ☆舎人親王等の皇族の他、中臣鎌足の子・藤原不比等も編纂にかかわる
 ☆不比等が自家の正当性を強調し、鎌足を英雄扱いにし、蘇我氏を悪役に仕立て上げた
 ☆日本書紀での蘇我氏の記述
 *蘇我蝦夷が天子だけの特権である「祖廟」を建てた
 *上宮王家(聖徳太子の一族)の私民を勝手に使役して墓を造営した
 *蝦夷の子・入鹿も天皇をないがしろにした
 *上宮王家を滅亡に追い込んでいる
 ☆これを見れば、蘇我氏が悪人といわれるのも無理はないのだ
史学界では「蘇我氏見直し論」浸透する
 ☆「蘇我氏見直し論」
 *本当は、蘇我氏が改革の旗振り役
 *中大兄皇子と中臣鎌足はそれを潰しにかかった反動勢力だった
 ☆天皇家は6世紀頃から屯倉という直轄領を増やして実力をつけた
 *天皇家は、中央集権体制の足がかりを築いた
 *これに大きく貢献したのが蘇我氏だった
 *こうした功績を蘇我氏のものにしたくない
 ☆「大化改新」と呼ばれる大改革を用意したという見方もできる
 ☆『日本書紀』で、大化2年改新の詔が出されたいう記述がある
 *大宝律令や養老律令に似た記載部分がある
 ☆「改新の詔」は『日本書紀』の編纂者が書き加えた可能性が高い
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』


日本書紀研究1(蘇我一族)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)

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