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総監府時代判決文の分析から見た「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態」。笹川紀勝氏の韓国・朝鮮人に寄り添い、熱がこもったった素晴らしい講演 

2020年02月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



6日(木)東京告白教会主催:信教の自由を守る日記念講演会「韓国併合から110年・韓国国家記録院の分析」に参加しました。
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(事前チラシ文から)
今年、韓国併合から110年を迎えます。みなさまは韓国の国家記録院に1905年の統監府時代から1945年の日本の敗戦までの40年間における各種刑事判決が保管されていることを御存じでしょうか。笹川紀勝先生は、6608件に及ぶ膨大な判決の整理、分析を続けておられ、今回の講演では、その研究成果の最前線についてお伺いしたいと願っています。 日本はポツダム宣言を受諾して朝鮮半島をはじめとする植民地支配を放棄するとともに、天皇制を存続させました。天皇の戦争責任も、「慰安婦問題」や「徴用工問題」をはじめとする植民地支配の清算も、いまだに放置されており、このことが、日本の国内外におけるさまざまな問題の根本原因となっていることは想像に難くありません。 ところで、ポツダム宣言の第8項には「カイロ宣言は履行さるべき」とあります。そのカイロ宣言には「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」という一文があります。つまり日本がポツダム宣言を受け入れたということは、当然カイロ宣言の履行であったわけですから、「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態」を世界の前で認めたことを意味します。では、「朝鮮ノ人民ノ奴隷状態」とは何を指すのでしょうか。笹川先生は、その実態がどのようなものであったのかを示すために、あの膨大な判決文を読み解いていらっしゃるのです。今回の講演では、判決文の紹介を通して、3・1独立運動や上海臨時政府の様子を浮き彫りにし、それが戦後の韓国の憲法や国民意識の形成にどのように結びついていったのかを具体的にお話しいただく予定です。ぜひお誘い合わせの上、ご参加いただければと思います。
〒157−0061 東京都世田谷区北烏山1−51−12 東京告白教会気付問い合わせ:小塩海平 koshio@nodai.ac.jp
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司会をする小塩海平さん

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会場受付で配布されたチラシ

講師の笹川紀勝(法学博士 国際基督教大学名誉教授)は、韓国の国家記録院に1905年の統監府時代から1945年の日本の敗戦までの40年間における各種刑事判決が保管されている、6608件に及ぶ膨大な判決の整理、分析を続けておられます。
当日のレジュメを転載します。
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朝鮮総督府の判決から見えるもの―国家の成り立ちと植民地支配の精算にについて? 2020.2.6 国際基督教大学名誉教授 笹川紀勝
(注)B5版18頁に及ぶ論考ですので判決部分は(略)にしました。全文を必要な方は東京告白教会にメールしてください。
罪状は「保安法違反」、「出版法違反」、「政治犯罪処罰令違反」、「騒擾、保安法違反」、「新聞紙法違反」、「不敬罪」、「神官に不敬行為」、「陸海軍刑法違反」、「朝鮮臨時保安令違反」、「治安維持法違反」、「陸軍刑法違反」、「制令7号、恐喝、銃砲火薬類取締令違反」と多岐に亘ります。
はじめに
 皆さんは国家がどのようにして誕生したかをお考えになったことおありですか。これはとても重要な問題です。古代に国家が成立するは神話で語られることがあります。韓国も日本もそうです。現代では実にリアルです。そのことを以下述べましょう。
第一部 日本の無条件降伏1 韓国と日本の戦後の国家形成(略)2. カイロ宣言? カイロ宣言(1943)に立ち入って考えてみたい。まずそこにある「奴隸状態」enslavementの 言葉はどのようにして規定されたのでしょうか。話はわきにそれると思われるかもしれませんが、 ポツダム宣言はカイロ宣言の履行をいいますがカイロ宣言に含まれている「奴隸状態」の言葉を使っていません。そうしますと、日本は日本統治下における朝鮮の「奴隸状態」を無視していいという人がいるかもしれません。しかしそういえません。なぜなら、カイロ宣言の条項を「履行」すると日本はポツダム宣言の中でい?ている以上は、その「履行」という言葉の中にはとうぜん 奴隸状態からの解放が含まれるからです。それゆえに、その言葉を使っているか否かを議論することに意味はありません。? ところで、朝鮮人民の奴隸状態という言葉はどこから来たかは問題です。一つには、その先行形態として、1919年の3.1独立運動の直後開かれる1919年5月12日パリ平和会議に韓国代表 金圭植(Kim Kiusic)がウヰルソン大統領に提出した韓国人民の日本からの解放と独立再建請願書があります。その第11項の中に、「家畜や奴隸は、所有者になにか価値があれば世話されるがそ れ以外に、韓国人民の幸福が日本の統治目的となることはない」とあります。そして、1921年6月11日ロンドン英連邦首相会議に韓国代表黄基煥(Whang Ki-Whan)が提出した韓国人民の日本からの解放嘆願書の中に、「我々は奴隸のレベルに落とされている」という文言があります。? 3.「奴隸状態」(1) 刑事判決6608件? 朝鮮人民の「奴隸状態」とはどういうことでしょうか。それは、日本人には明らかにならなけ ればなりません。ポツダム宣言を通してカイロ宣言の履行を国際社会に約束したからです。しかし、研究としてはまだ「奴隸状態」の意味をつかみ取れていません。? そこで、私は、「奴隸状態」の意味をいろいろに捉え得ると思いますが、植民地支配の実際に注目ししかもそれを判決において考えてはどうかと思いました。そこで役立つのは、韓国国家報勲処がインターネットを通して公開したところの、伊藤博文を初代統監とする1905年の統監府時代から日本の敗戦時までの朝鮮総督府時代、その40年間の日本の統治下における刑事判決で韓国に保存されている6608件です。日本人は見たくないぼう大な資料でしょう。? 全体を把握するためには判決6608件はどのようなものかを形式的に整理する必要があります。 そこで私は6608件の目録を作ろうと考えました。多大の労力を要することはいうまでもありま せん。愚直に取り組むだけです。さて、この作業の過程で、判決内容を大雑把に把握し理解しなければ、形式的な整理であってもそれはできないことに気付きました。そこで、それらを大急ぎで読み理解する努力をしました。判決を読んだときに強烈な印象を受けました。もちろん、全体の内容をつかめない現段階では、せいぜい興味ある判決に主観的にコメントをつけているにすぎないことは自覚しています。しかしながら、こうした概観のための作業を通してでも暫定的にいくつかいえることがあります。正確に述べるのは、もっと後のことになるでしょう。? 私の印象を率直にいえば、朝鮮人の全生活(精神的、肉体的、社会的、経済的)が朝鮮総督府の監視と統制のもとにおかれていた様子はリアルで胸に迫るものがあります。判決は学問的に興味ある対象です。実にひきつけられます。しかも、世界的に見て、植民地統治の実態を示すさまざまの判決が保存されていることはまれです。そのうえ、インターネットでその資料が公開されたことは、植民地支配の様子を人類に示すという意味でも画期的で勇気ある行為です。ぼう大な資料が提示されながら、その解明に学問が追い付けていないのが実状です。これからとりあげます判決は日韓でどれほど知られているでしょうか。? なお、韓国国家記録院も判決をインターネットで公開しています。それは19167件に達し、国家報勲処の6608件の3倍です。正道言ってもう整理は不可能かと暗澹たる思いを抱きました。 あきらめきれずに若干探ってみました。すると、同一判決文に含まれる相被告もすべてカウントされている可能性に気付きました。もしそうであれば、同一判決を1件とカウントすると、19167件とは被告の総数になり得ます。そうであれば19167件の中にある判決の実数は下がるでしょう。 したがって、この線でいくなら、判決の形式的な整理の作業では6608件が基本的な数字となります。たしかに、19167件の判決の中には6608件の収録していないものもあり、その逆もあります。かかる調査の労力を度外視していえば両者は相補的のようです。どちらにしても巨大な山に相違はありませんが、6608件の目録を作る作業に希望が出てきました。? (2) 判決について? 以下判決をまず資料として紹介しますが、まずその前にいくつか述べたいことがあります。 6608件の内3・1とそうでないものを仕分けしてみたところ、3 ?1にかかわる判決はおおよそ40%に達しそうです。どれくらいあるか正確にはまだ分かりません。ところで、現在6608件の整理の見直し中ですが、その作業はようやく約三分の一(約2000件)に見直しが達しました。 そこに見られた3・1関係の判決の抜き出しを資料1とします。なお、内乱に関する判決には、3 ? 1を朝鮮人の独立の強い希望の表明と理解する高等法院の判決があり、この判決の重要な意義は別の論文で論じましたから、今回は内乱には触れません。もっと一般的な3 ?1に関する判決の紹介が今回の目標です。そして、見直し前の6608件と今回見直した三分の一との中で3・1にかかわらない判決の抜き出しを資料2とします。? また、高等法院への上告理由の中に、「自己の行為は朝鮮民族として正義人道に基く意思発動にして犯罪にあらず」という見解が数多く見受けられました。この見解はいわば定型化していますから、どこかに根拠があるのでしょう。そして、この文意は朝鮮社会に広く伝播した正義論に根差しているように見えます。しかし、探るだけの力が私にないので今回の3 ?1の紹介からは 外しました。? 第二部 3・1にかかわる判決:資料1について? 1 資料の紹介? (略)? 2 判決の分析? (略)? 3 分析の整理とまとめ? (略)? 第三部 3・1にかかわらない判決:資料2について? 1 判決の紹介? (略)? 2 判決の分析? (略)まとめと結びに代えて?第1に、朝鮮人を飢えで苦しめたこと、若い女性を虐げたこと、日本本土で差別と侮辱を経験したこと、天皇制への服従は神社参拝や不敬罪と結び付けられていたこと、「志」願兵の名目で兵役を強制した欺瞞があったこと、警察では拷問が日常的に行われていたこと、日本人と朝鮮人の軋礫を引き起こす契機はいたるところにあり朝鮮人と日本人との間には刑事法適用に差別があったこと、総督府による日本語常用のように日本文化の強制があったこと、こういう判決を知りました。それゆえに、3・1にかかわらない判決をみたところ、朝鮮人を取りまく苛酷な「奴隸状態」といわれた状況は紛れもなくあったといわざるを得ません。それゆえに、3・1にかかわる判決の場合と同じく、かかる状態からの解放は独立しかないと朝鮮人に深く意識させたに相違ありません(本稿では取り上げませんでしたが、治安維持法の判決には日本の覊絆からの離脱独立の主張が沢山出てきます)。彼らは日夜苦悩に呻吟しながら、折あらば日本の統治に抵抗の意をしめした、そういう尊厳ある勇気も判決から学びました。そして、3・1にかかわらない判決では、李王殿下の国葬に際して朝鮮独立万歳を叫ぶ判決はありましたが3 ?1にかかわる判決に比べてその数は激減しています。したがって、3・1にかかわらない判決では、植民地支配の刑罰に屈しない自存独立の万歳高唱の喜びは後景に退き、植民地支配の刑罰に屈しない 自存独立の抵抗の思いが前景に現れているといえるのではないでしょうか。? 第2に、独立したからもはや苦悩が消えたといえるでしょうか。そうではなく、むしろ苦悩は朝鮮人の心の奥深くに潜むと見なければなりません。そうであれば、日本の謝罪はそこまで届くものでなければなりません。従軍慰安婦問題で日本政府は10億円を出して不可逆的に解決したといっても、判決で見ましたように、植民地支配は朝鮮人の全存在に及んで展開されましたから、朝鮮人の苦悩のひろがりと深さを思いますと根本的な謝罪と清算は不可欠です。? 第3に、3 ?1にかかわる判決でも3 ?1にかかわらない判決でも、民衆が朝鮮民族の独立を欲しその機会を待ち続けたことを示しています。この待望は3.1が蒔いたデモクラシーによる国家形成の基盤に立つ韓国憲法の国民主権に結実すると考えます。その結果、国民が欲する政治が憲法を通して行われます。政治権力をもつものがその国民を思うように支配できる政治は3・1の精神には沿わないに違いありません。日本人はこの韓国の政治の特徴を理解しなければ真実な和解は生まれないのではないかと思います。? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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