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平成の虚無僧一路の日記

松本清張が明らかにした「帝銀事件」の真相 

2020年02月08日 外部ブログ記事
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昭和23年2月4日 私の誕生日。その日の新聞を見ると
帝銀事件のことが大々的に取り上げられている。
帝銀事件は、1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区の
帝国銀行椎名町支店で発生した毒物殺人事件。
犯人として逮捕されたのがテンペラ画家の平沢貞通。
松本清張は「戦後の黒い霧」で、戦後史の闇の解明に
挑んだ。そして1959年に発表した『小説帝銀事件』ですでに
731部隊の存在を明らかにしている。
松本清張によれば、警察は、毒物の扱いに熟知していた
731部隊の隊員が犯人とにらんでいたが、GHQからの
圧力で、731部隊の調査は突然止められた。
そして強引な理屈をつけて逮捕されたのが平沢貞通。
平沢を自白に追い込んだのは、吉展ちゃん誘拐事件などで
名を馳せる伝説の刑事、平塚八兵衛。
平沢は毒物の知識など無く、その入手経路も不明のまま
犯人に仕立てられ、死刑判決となった。
帝銀事件では、青酸化合物を2回に分けて飲ますなど、その
毒物の致死量を熟知したものでなければ起こせない犯行。
使われた毒物も器具も731部隊の物とまで明らかになりながら
GHQの命令で捜査が中断された。アメリカが、731部隊の存在を
ひた隠しにしようとしたことが明らか。つまり、アメリカは731部隊が
人体実験で得たデータをに手にすることにより、その罪を反故にする
密約を交わしていたという。
?
松本清張はそこまで、事件の真相を積み上げながら、これを
「小説・帝銀事件」。つまりフィクション(作り話)の小説として発表した。
そうせざるを得ない圧力があったのだろう。
?

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