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平成の虚無僧一路の日記

宮城道雄 「音の世界に生きる者の悟り」とは 

2020年01月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



宮城道雄「音の世界に生きる」  
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   音に生きる   私は子供の時には非常に負けず嫌いで、喧嘩しても議論しても負けるのが何より厭だった。それがこうして音の世界に生きるようになってからは、不思議に気持が落著いて来て、負け嫌いどころか、負けることが好きなくらいになった。大概のことは人に勝たしてあげたいと思うのである。   決して人と争わぬ。人の意見に反対しない。若い頃には直ぐ怒ったものであるが、この頃は腹が立たなくなった。 芸に就いても、かつては他流の人とでも弾く時には、何か一種の競争意識というか、戦闘気分といったようなものに支配されたものであるが、今はそうでない。誰とやっても静かな気持である。先ず人を立ててその中に自分自らも生きようと希う気持だけである。 それでよく弟子達に、「先生は誰にでも頭を下げるから威厳がない」と叱られたりするが、しかし私は自分の値打を自分で拵えて人に見せようというような気持にはなれない。  これは何も私が修養が出来ているかのように仄かすのではない。およそ音の世界に生きる者のすべてが自然に持つ、一つの悟りとでもいうべき心境であろう。有難いと思う。私はいま別に信仰というものはないが、強いていえば、私にとって音楽は一つの宗教である。 
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これは、今の私も全く同感。つい数年前までは、ささいな事にも腹を立てていたが、今は全く腹が立たなくなった。「人と競わない。他人と比較しない」それこそ普化宗の唯一の教義である。
最近では、私のことを 「こんなに偉い先生なのに」「私達とは口もきいてもらえない方なのに」などと云ってくださる方がいる。「虚無僧はタダの乞食」と笑って答える私。自分が最低の人間と思うと、えらぶる心も、人を見下す心も失せるものである。これが虚無僧としての修行だったかと最近ようやく気付く。

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