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ニャンコ座リポート
2019年の五大ニュースA (12/30)
2019年12月30日
テーマ:テーマ無し
明日は荒れる予報が出ていますが、今の所薄曇りながら暖かくて穏やかです。昨日のうちに、有名な「いずみ」で、一足早く年越しそばを食べてきました。では、続きを。
★第3位ーダリが大往生:長年連れ添ったダリが、息子の腕の中で天国へ旅立ちました。ごちゃコンの朝でした。たかが猫が死んだのがなぜ3位にと思うかもしれませんが、ニャンコ座の暮らしが始まった2006年からずっと、猫がいました。ネギが死にマコが死に、でも猫はいました。でもとうとう、ニャンコ座に猫がいなくなってしまいました。長期に留守ができない、食べ物やイタズラされて困る物を出しておけない等々、猫最優先だった生活は、制約はあるものの、おひとり様の私を支えてくれていたのです。猫たちは、ニャンコ座そのものだったのです。
★第2位ーPMFのステージに立つ:一介の合唱愛好家である私が、大それたことに、PMFのステージに立ち、460人の合唱バカ達と一緒に、エッシェンバッハの指揮で、マーラーの「千人」を歌い切ったのです。難しい曲で、練習は大変でした。歌はストレス解消に等とんでもない。ストレスそのものでした。そこが良いのです。こうして時間が経つにつれて、思い出は薄れるのではなく、輝きを増していくのです。
★第1位ー息子が心を病む:負の話題に触れずにブログを書き続ける才が無い私だから、折に触れて書いてきましたが、父が死んだより、母が認知症になったより、いっちゃんが死んだより、パーキンソンになったより、息子のことは苦しく辛いです。去年、第2子を授かったことで勃発したいくつかのことで離婚を求められ、納得できない息子は心を病みました。それでも打ち込めるものを模索して、「モリエール」の舞台を成功させ、何と京都市議に挑戦しました。でもダメでした。今はすっかり何をする意欲も失い、どん底でうめいている息子を、どうか死なないでほしい、ただその一点でかかわってきました。道は遠く、光も見えないままの年越しになってしまいましたが、こんな終わり方をさせたくはない、息子ををこの世に送り出した私としては。
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