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大間秀雄のブログ
院内史跡めぐりウオーキング ?
2011年07月22日
テーマ:テーマ無し
館跡から街へ下る途中にかってこの辺一帯に産出した油田跡へ向かう
当時はかなりのポンプがあちこちに乱立していたが今は史跡として1台だけ往時をしのぶようにのこされていた。濃度の濃い重油で重宝されたが次第に円高になり採算が取れなくて撤退したようだ。
油田跡をあとに禅林寺をめざしひたすら下る。
約20分ほど下ると先ほど別れて来た塩の道の分岐点六角堂に出た。
館跡へ行く大手道の3倍はあろうと思われる長いが緩やかな登り道で年配の方にはこちらの散策コースがお勧めだそうだ(^O^)/
この辺から道筋に家並みが現れさらに下り禅林寺へ向かう
街並みを降りた所に朱塗りの欄干の橋があり見事な山門が現れた。
仁賀保家の菩提寺の禅林寺である、多数の末寺を持つこの地域の歴史ある寺院である。
説明は長くなるので看板の写真をご参照ください
本殿も平日で閑散としているが手入れが行き届居ている
本殿前に立派な阿弥陀様の石像があった。
山門入って右手には六地蔵がありその前で由来と歴史を解説いただいたが暑くてぼーっと聞き流してしまった。
六地蔵の裏にもアジサイの花と赤い前垂れが可愛い地蔵群があった
この地蔵達のいわれは聞くのを失念してしまった。
この後、お手洗いを借りて水分補給もして最後の七高神社へ向かう
街並みを更に5分ほど下がると右手にやン同入り口が見えた
もう少しと鳥居の前まで来てがっくり、空を見上げんばかりの急な石段が続いている疲れ果てている体を鞭打って百段を登る ('-^*)/
七高神社はご紋も仁賀保家と同じで、現在の所から山城館時代は六角堂より上に移転していたらしいがその後館の廃止に伴い再度現在の場所に戻されたそうだ。
本殿の隣の大木にわらじが無数にぶら下がっているが、お祭りの後に男衆が酔った勢いで投げ上げたものが慣例となって現在も続いているらしい(^O^)/
今回はここまでで終了、この後院内小まで戻り全員でストレッチ体操をして終了しました。今まで知らなかった仁賀保の歴史と散策で楽しい1日でした。講師、スタッフの皆さん御苦労さまありがとうございました。
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