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調所(ずしょ)広郷、幕末の真の功労者 

2019年06月01日 外部ブログ記事
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調所広郷(薩摩藩家老)

 ☆幕末、ペリー来航の9年前、琉球にフランス船が到来し、開国を迫る
 *フランス艦隊による、琉球の開国・通商要求であった
 *琉球を事実上支配していた薩摩藩の家老、命をかけて幕府を説得した
 *幕府老中阿部より、薩摩藩の直接交渉の一任を取り付ける
 ☆調所広郷は、困窮する藩財政を見事に建て直した

調所広郷の経歴
 ☆城下士の息子として生まれ、城下士・調所清悦の養子となる
 ☆茶道職として出仕し、江戸へ出府
 *隠居していた前藩主・島津重豪にその才能を見出されて登用される
 ☆藩主・島津斉興に仕え、使番・町奉行などを歴任し出世する
 *藩が琉球や清と行っていた密貿易にも携わる
 *家老となり、藩の財政・農政・軍制改革に取り組んだ
 ☆薩摩藩は500万両の借金を抱えて財政破綻寸前
 *広郷は、商人を脅迫して借金を無利子で250年の分割払いにした
 *広郷は、行政改革、農政改革、財政改革を行った
 ☆薩摩藩の金蔵に200万両の蓄えが出来る程にまで財政が回復した
 ☆改革の取組み
 *琉球を通じた清との密貿易、
 *砂糖の生産において、大坂の砂糖問屋の関与の排除を図った専売制
 *商品作物の開発等
 ☆調所は、薩摩焼の増産と朝鮮人陶工の生活改善に尽くした
 *同地域では調所の死後もその恩義を感じて調所の招魂墓が建てられた
薩摩藩での、島津斉彬と島津斉興・久光によるお家騒動
 ☆調所広郷は、斉興・久光派に与する
 ☆斉彬は幕府老中・阿部正弘らに協力
 *薩摩藩の密貿易に関する情報を幕府に流し、調所らの失脚を図る
 ☆調所は、幕府老中阿部に密貿易の件を糾問される
 *調所広郷は、江戸の薩摩藩上屋敷芝藩邸にて急死
 *責任追及が斉興にまで及ぶのを防ごうとした服毒自殺
 ☆死後、広郷の遺族は斉彬によって家禄と屋敷を召し上げられる
調所広郷の評価
 ☆明治維新の実現は、薩摩藩の軍事力に負うところが大である
 ☆薩摩藩は、他藩と異なり、新型の蒸気船や鉄砲を大量に保有していた
 *薩摩藩の財政を再建した広郷の功績と言える
 ☆島津斉彬派の西郷隆盛や大久保利通が明治維新の立て役者となった
 ☆調所家は徹底的な迫害を受け、一家は離散する
 ☆島津斉彬排斥の首謀者は、斉興とその側室のお由羅の方だった
 *首謀者は、事実上の藩主の両親であり弾劾出来なかった
 *調所家への風当たりが一層強くなった
 ☆第二次大戦後、広郷の財政改革が再評価されるようになった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHKBS『英雄たちの選択』、WIKIPEDIA












幕末の真の功労者、調所(ずしょ)広郷
(『英雄たちの選択』テレビ画面より画像引用)

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