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ニャンコ座リポート
日常と非日常の間 (5/29)
2019年05月29日
テーマ:テーマ無し
昨日ブログを更新した時は、まだ詳細がわからなくて書かなかったのですが、川崎殺傷事件は、言葉を失いました。
毎日私も苦しいなぁ。体調も悪いし。今日はパーキンソン病院の日です。ここ数日言いようの無いだるさがありましたが、今朝は少し良いです。今私が1番やりたいのは、畑を思い切りやることなのですが、忙しいのと、しゃがんでしまうと腰から膝にかけて立ち上がるのがよっこらしょ状態で、もうガーデニングは無理なんだろうかと悲しくなります。こんななのに、ジュンセンセにきれいな優しい顔で「どうですか」と聞かれると、「まあまあです」なんて答えちゃうんだろうな。平気な顔で歩けと言われたら、できるものね。
うつ病の症状はと聞かれたら、今息子を見ていて「様々なことを考え過ぎることです」と答えたいです。まあ良くもこんな風に考え続けるものだわ、これじゃ頭が疲れ切って混乱し、辛くて生きるのが嫌になるのも無理はないと感じます。
ここの所口にするのは、「日常と非日常」です。中学生までは、日常がホッとできて幸せだったそう。都会に買い物に行ったり、旅行に行くのが非日常で、それは心躍る時間であって、日常にエネルギーをくれるものだったそう。でも高校で家を離れたら、下宿は安らげる場所ではなく、それ以降ずっと自分には日常が無かったのではないか。公演も選挙もワクワクする非日常ではあったけれど、安らげる日常があってこそなのに。
当たり前に、幸せな家庭を夢見て、それがあるからこそ演劇も、アルバイトもがんばれたのに、何もかも無くなってしまった、と思っているらしい。それが痛々しいのです。
私はどうだろう。心ならずもおひとり様、本意ではないけれど、病気をひっくるめてこれが日常です。歌が好きだから、コンサートは非日常です。では練習はどうだろう。練習(自習は含めない、みんなでやる練習のこと)は、ちょうど中間くらいかなぁ。
息子の発言でとても気になることがあるのですが、ようやくその原因がわかりました。息子は、子どもが田舎で育つのを嫌がります。でもそれを言われると、ほとんどが僻地暮らしで子育てをした私としては、責められているようで嫌です。高校に行き、同級生たちが平日の放課後に、自由にファミレスやゲーセンや本屋に行けていた、圧倒的な文化の差(大げさだわ)に打ちのめされたと言うのです。確かに一理ありますが、それは息子個人の好みなのです。
今息子はまるで子供で、大人の男としての魅力など、これっぽっちもありません。でもきっとこれを乗り越えたら、良い大人になれていると私は信じたいのです。
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