人間観察そして恋そして小説も

江川紹子というジャーナリスト 

2019年04月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


先日書いた 性的虐待を続けていた父親を無罪 にした記事でジャーナリストの江川紹子さんが記事を書いている 裁判所はなぜ、娘に性的虐待を続けていた父親を無罪としたのかとの表題だ記事の全文が長いので端折って記載すると全文は ここ(参考記事)に記載しときます 彼女はまず とりわけ、19歳の娘に対する性行為が準強制性交罪に問われた父親が無罪となった名古屋地裁岡崎支部の判決について、批判が大きい。ネット上では「バカ裁判官」「悪魔」「鬼畜」などと裁判長への罵詈雑言が飛び、罷免を求める署名まで行われている。週刊新潮4月18日号は、「娘を性のはけ口にした父が無罪というバカ判決『裁判長』」と題する批判記事で、裁判長の大きな写真を掲載した。 私が目にした限り、批判には検察官についての論評は見当たらなかった。判決文を読んだ弁護士による批判記事でも、本件についての検察官の捜査・立証活動については言及がない。 とまあ、判決を下した裁判官批判について列記し、返す刀で本件についての検察官の捜査・立証活動については言及がない。と述べている つまり検察批判を展開しようとしているのだ。判決を下した裁判官も問題だが、有罪に持っていけなかった検察の調査はどうだったかと 裁判所が無罪にした根拠についた〈抗拒不能の状態にまで至っていたと断定するには、なお合理的な疑いが残るというべきである〉 ここでいう拒否不能の状態とは、裁判所の通例見解として〈行為者と相手方との関係性や性交の際の状況等を総合的に考慮し、相手方において、性交を拒否するなど、性交を承諾・認容する以外の行為を期待することが著しく困難な心理状態にあると認められる場合〉 と記している。 裁判の通例解釈において考えたら、拒否できない状態ではなかったと裁判官は判断したのだ。断って逃げることができたでしょ、と判断したのだ ここから江川紹子女子の検察批判が続くが、要は彼女、検察がまずい対応をしたから無罪になったと批判を展開しているのだ。 そうじゃないだろう。問題は、裁判所が唱える通例とやら、すなわち〈行為者と相手方との関係性や性交の際の状況等を総合的に考慮し、相手方において、性交を拒否するなど、性交を承諾・認容する以外の行為を期待することが著しく困難な心理状態にあると認められる場合〉という、この考え方がおかしいからと、怒っているのだ。だからこそ裁判員制度を導入しているのだ着目すべきは、検察の捜査方法ではなく、裁判官の認識なのだ。 江川紹子氏の記事はおおむね、こんな感じの記事が多い。多くのパッシングを受ける問題に対し、別の角度から異論を唱えるのだが、けっして本筋を批判しない。 自分に被害が及ばないよう、かつ、目新しい切り口かのような錯覚を読者に与える書き方をする。 いわゆるテレビ受けする方法だ。これは本筋の解決にぶれが生ずるから、本来邪道とされる手段だ。しかし、素人受けするからマスコミはよく使う。 オームの時の記事もこんなスタンスでの記事が多かった。切り口が斬新ぽく見えるが、実は中身がなく、他の論客が述べていることと同じことを述べているに過ぎないのだ私に言わせれば、チャチャ入れ論評に過ぎない 江川紹子氏を批判しているわけではない論点をすり替えないでほしいということだ わが子をセックスの対象にする親を、しかも娘の方が拒んでいる事実があるにもかかわらず、しかも許容するに値する、しかるべき根拠がないにもかかわらず、「被害者が断ることができたであろう」という判断をもってして無罪を言える、裁判官の感性がおかしいと、皆は思っているのだ。検察の起訴の仕方次第で、判決が変わる程度の犯罪ではないということだ。 つまりなんだな 私はやはり江川紹子氏なる、ジャーナリストの論評が嫌いだということに帰結するのだが(汗) にほんブログ村

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