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ふるさと交流館  第一術科学校(旧海軍兵学校) 

2019年04月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

ふるさと交流館 
第一術科学校(旧海軍兵学校)
ふるさと交流館
旧海軍兵学校の生徒たちの休養の場であった生徒倶楽部の一つ「橋中生徒倶楽部」の面影を残した建物で、海上自衛隊第1術科学校の見学者の休憩所、町民の憩いの場として親しまれています。また、展示室には旧海軍兵学校ゆかりの品々も展示されています。




マルレの模型

海上挺身戦隊 
船舶特別幹部候補生の少年を主体に陸軍からの選抜下士官、将校らにより
編成された250kg爆雷を積んだべニア製ボートによる特攻部隊でした。


マルレと呼ぶが表記は「○レ」
艇の後ろに250㎏爆雷を積載。
本来は敵船の近くまで行き、爆雷を投下し速やかに離脱する目的だったが
末期にはこのまま体当たりすろ特攻となった。

 
同じ目的の船が海軍にもあり、そちらは「震洋」と呼ばれる。
震洋とマルレでは、艇の形も異なる。 





第一術科学校海軍兵学校が一般公開の日でした。


見学することに





大正六年(1917)建設の大講堂 花崗岩で覆われた重厚な建物です
こちらは貴族口 現在でも皇族、貴賓しか通れません。


こちらは平民門 一般の入口です。この日は内部見学無しでした。


海軍兵学校生徒館(現・海上自衛隊幹部候補生学校)





戦艦 陸奥4番主砲



45口径40センチ砲


           凄い迫力です



戦艦長門 砲弾





安式(アームストロング)40口径6吋(インチ)砲





12.7mm高角砲


大和砲弾 呉、江田島に4発現存







甲標的
真珠湾攻撃に参加した5隻のうちの一隻です。

国内で唯一現存する貴重なものです。





中が見えるようにカットモデルになっています。


魚雷2発を下部両側に装着。
船首部に炸薬を積み、魚雷発射後は体当たりをする特攻兵器であったと云う。幸い一隻も実戦では使用されませんでした。


1985年にガダルカナル島から日本に帰還した砲弾
戦艦・金剛か榛名が発射した一式徹甲弾です。


砲弾の祖国帰還の経緯

本砲弾は 1983年8月 ガダルカナル島を訪れた赤沢璋一氏(比叡)及び永末英一衆議院議員(五十鈴)が 川村庸也氏の案内により島内の戦跡を見て回った際に発見された。

その後 関係者により本砲弾を祖国に帰還させるための努力が重ねられ特に 川村氏の熱意と懸命な尽力とにより 1985年2月 40余年振りにガ島から祖国に帰ってきたものである。

帰還後 海上自衛隊が調査を行った結果 本砲弾は「金剛」又は「榛名」が発射した一式徹甲弾であることが確認された。

そこで挺身攻撃隊として 当時の作戦に従事した有志が集って保存会を結成し 多くの会員の協力を得て 本砲弾を日本海軍ゆかりの地 江田島に展示し 永く後世に伝えることとした。

なお この砲弾が損傷しているのは 不発弾処理によるものであり また 傾けてあるのは ガ島の方向を示すためである。





のんきに花見ができるのも先人のおかげ


教育参考館 内部撮影禁止


親父の写真だけ撮らせてもらいました。

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