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平成の虚無僧一路の日記

福沢諭吉の宗教観 

2019年03月29日 外部ブログ記事
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「福沢諭吉」は、みずから「無信心」を公言して憚らなかったが、宗教を否定したわけではなかった。『時事新報』(1897年9月4日)の社説「宗教は茶の如し」において、「宗教は社会の安寧維持のために必要であり、仏教と耶蘇教の相違は、経世上の眼から見れば緑茶と紅茶の違いぐらいである」と述べ、「その味を解せしむるを経世上の必要と認めて大に望みを属するものなり」としている。意外にも、明治4年、まだキリシタン禁制の頃、イギリスから宣教師たちを迎え、子供たちの家庭教師にしたりして、彼らの庇護者となっていた。それも宣教師たちを通じて西洋の文化を知る手立てであったとも思える。仏教についても、宗教の意義は認めるが、現実の仏教界の有り様については疑いをもっていた。浄土真宗の信徒として、法事などはきちんと行っており、戒名は「大観院独立自尊居士」と受けてはいたが、墓石には「福沢諭吉墓、妻阿錦の墓」と本名を刻んでいる。墓石について次のように遺言している。「墓石を大きくするといふことはつまらぬことである。人間の家といふもの は、栄枯盛衰ちっとも当てにならぬもので、子孫が貧乏したり、跡絶えになったりすれば、墓荒らしになり、墓石はひっくり返り、見るも哀れであるが、 さうなると、大きな墓石ほど見苦しくも哀れにもなる。母の墓石は此の通り小さいが、何も費用を吝むのではない。以上の理由からわざと斯うしてゐる。私の墓石も母に準ずるやうに」と。

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